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From:東京「デフレ、インフレ」 

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杉山茂樹

杉山茂樹Shigeki Sugiyama

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photograph byShigeki Sugiyama

posted2006/10/17 00:00

From:東京「デフレ、インフレ」<Number Web> photograph by Shigeki Sugiyama

日本の物価は高くない。物価高騰のヨーロッパに行くと感じる。

そんな快適さに浸って、日本にしがみついていてはいけない。

僕だけではなく、Jリーガーたちも。

 自宅の近くにオープンしたばかりの「ナチュラル・ローソン」に、ぶらっと立ち寄ってみた。普通のコンビニより、良質な商品を取りそろえた高級な、ちょいとイカした店構えのコンビニ。お値段もそれなりに張るのかなと、少し緊張気味に店内をのぞいてみた。

 よほどのことがない限り、財布は開くまいと心を固めていたはずなのに、結局いつも通り、買い物好きの性格は騒ぐことになった。理由は分かりやすい。品揃え豊富で、値段も思ったほど高くなかったからだ。少なくとも、僕が日本との往復を頻繁に繰り返すヨーロッパに比べて。

 陳列棚に取りそろえられた色とりどりの商品が、目に眩しく飛び込んでくる。安いし、選択肢に幅があるし、そのうえ24時間営業だし、日本の消費者は世界で最も恵まれた環境にあると僕は思う。「お客様は神様です」の精神が、ここまで浸透している国も珍しい。生活に不自由を感じることは滅多にない。快適な東京ライフが送れている、これこそが一番の原因だ。

 いっぽうで、ヨーロッパに旅立つ日が迫っている。今回はバルサ対セビーリャ、チェルシー対バルサ等々を観戦する予定なのだけれど、気分はいまひとつ盛り上がらない。いまやポンドは220円以上。ユーロも150円の時代を迎えている。考えるだけでゾッとする。ヨーロッパの消費環境は最悪だ。

 日本で高く感じるのはタクシー代と、新幹線代と、ブランド服ぐらいだろうか。物価の基準となる新聞代は、たとえばスペインの場合は1ユーロだ。つまり150円。130円の日本に対し、20円勝っている。ホテルだって100ユーロ以下で、それなりのものを探しだすことは難しい。1万5千円も出せば、豪華ホテルに宿泊できる日本とは、約倍の開きがある。イングランドの場合は、これが3倍になる。前回、訪れたリバプールのホテルなどは、特に酷かった。85ポンド(1万9千円)もしたのに、連れ込み宿同然の安普請で、僕をそこまで乗せていってくれたタクシーの運転手からは、こう哀れまれるほどだった。「おまえ、日本人なのに、こんなホテル泊まるわけ?」と。日本人なのに、だって。その聞き捨てならない台詞に、僕は「日本はここよりはるかに安いんです」と、すかさず反論したのだが……。

 日本は高いはいまや昔話。いまだそんな固定観念を抱いている外国人は、相当な世間知らずだ。進歩的な外国人は、いまやせっせと日本を訪れる時代なのである。実際、自宅近くのショッピングゾーンには、地図を広げながら散策する外国人の姿が頻繁に見かけられる。「いまやお客さんの3分の1が外国人です」とは、僕がよく足を運ぶ、あるショップの店長の弁。また、新宿歌舞伎町の、とあるカラオケバーで働く、韓国人の女性店員はこういって嘆く。「日本で働く意味がなくなってきている」。ちなみに、2002年W杯当時、1円には10ウォンの価値があったが、いまや8ウォンにしかならない。4年間で、円は20%も安くなっているのだ。

 またいっぽう、バルセロナ在住で、僕のガイド役をしばしば務めてくれる日本語堪能の某は、マンション転がしで莫大な富を得ることに成功している。4年前に2000万円で買ったマンションは、いまや8000万円の豪邸に変化している。まさにバブル。それ以外の何ものでもない。

 つまり、超デフレの国から、超インフレの国へと僕は間もなく旅立つわけである。

 しかし欧州のサッカー界に限っては、バブルはいまや昔話だ。お金を使わずに、良い選手を獲得する時代を迎えている。日本人選手に何億もの移籍金を出せるチームは、ないに等しいといっても言い過ぎではない。本来なら、日本選手は安いとばかり、引く手あまたになるはずだが、そうはならないところが、この世界のミソというか問題なのである。

 オシムジャパンには、年俸2000万に満たない選手がずらりと並ぶ。あまりサッカーが上手ではないから。理由はそればかりではもちろんない。日本の経済、健全経営を唱う各クラブの実情と密接な関係があるのだ。もうちょっと出してあげればという気に思わずなるが、世界市場を考えると、それでも高いといわざるを得ない。年俸2000万円ならば×10で、移籍金は2億円になる。しかし、それは欧州の各クラブにとっては高すぎる金額なのだ。Jリーガーが、欧州行きを念頭に据えるなら1000万円台が限度。よほどのネームバリューがない限り、それ以上もらうと、身動きは取れなくなる。彼らは深みにはまってしまったような、辛い立場に身を置いている。

 だからだろうか、選手にスケールの小ささを感じるのは。海外でプレイすることよりもまず日本代表。オシムジャパンに選ばれたい一心でプレイしている姿が、多くの選手から見て取れる。オシム監督に対して文句の一つも言ってみろよとは、僕の率直な感想だ。ジーコジャパン時代から、その傾向は増すばかりである。デフレの世の中が、面白味に欠けるサッカーマンを増殖させているとは、あながち間違った見解だと思わない。

 モノは安いし、品数は豊富だし……。いくら給料が安くても、何とかなっちゃうこの世の中。それなりに快適に暮らせるこの世の中に対して、不満を抱く人はそう多くないはずだ。しかしそれで、抱く夢のスケールが小さくなるのは問題。

 そうなのである。この快適な日本に埋没するのは危険なのだ。僕も気を取り直すことにしよう。元気を振り絞って、成田に向かうことにしよう。バルサ対セビーリャ、チェルシー対バルサが、途端に待ち遠しく感じられることになった秋の夜長である。

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