北京五輪的日報BACK NUMBER
4年分の思いを乗せて。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
posted2008/08/25 00:00
アテネで2つの金メダルを獲得したあとの4年、北島康介は競泳を続けるモチベーションに苦しんだことがあったと聞く。故障に苦しんだこともあった。紆余曲折を経てたどりついた北京。最初の種目100mで金メダルを獲得したときの雄叫びは、アテネのそれと違う開放感とやりとげた喜びを感じた。
上野由岐子の3連投、413球は想像の外にあるものだった。一球一球集中した投球には、今回で五輪種目から外れるソフトボールへの思いもあったかもしれない。
あるいは五輪で初めてメダルを逃したシンクロナイズドスイミング日本代表の能面のような表情。感情を極限まで押し殺すと、人はこうなるのか、そんな風に感じた。
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ウサイン・ボルトはこの大会で陸上短距離のスーパースターとなった。スパイクの開発、ユニフォームの研究など、タイムを0.01秒でも縮めるためにさまざまな努力が払われてきた。でもボルトの走りは、「そんなの俺には関係ないぜ」と言っているようだった。走る喜びが体中で爆発しているようだった。人間の原初のパワーというかのような。
そのボルトと、100mで雌雄を決するはずだったタイソン・ゲイ。2004年のアテネは代表選考会で敗れ出場できなかった。今大会はこれまでの悔しさを晴らす場になるはずだった。だが悪夢が待ち受けていた。100mは準決勝敗退、リレーの予選ではゲイがバトンを落としチームは失格。落とした直後、宙を見上げた表情をなんと言えばいいだろうか。
……いくつもの表情が記憶に焼きついている。勝った選手にも、敗れた選手にも、心に残る表情があった。彼らには、4年の時間が凝縮されていた。
スタジアムの外にいるときは、どこかストレスをためていた部分もあった気がする。ここまでの警備をしなければならないイベントのありよう。VIP、メディア、スポンサーなど「関係者」に括られる人々と、一般の人々への対応の激しい落差。両者を隔てる万里の長城のようなフェンス。
それでも20日間、あっというまに過ぎていった。スタジアムで目撃する選手たちの表情は、五輪でしか表れないものだった。
今日がすぎれば、2012年、ロンドンへ向けて選手たちはスタートする。
それぞれの思いを懸けた4年間が始まるのだ。
最後に。
プレスセンターの地下にある食堂では、おかず2品と白飯で20~30元(約340~510円)あれば食べられた。着いた初日から、「安い」と、ほぼ毎食利用した。だがセンターのオープン当初は、実はおかず2品と白飯だと100元はしたという。約1700円である。この値段だと毎食利用はできないし、料理の質を考えても、ぼったくりである。周囲に食べられるところもないから相当困ったはずだ。
値下げしたのは、「高い!」と猛抗議したアメリカを中心とした記者団のパワーによる。彼らは不満があればたちどころにクレームをつけてさまざまな点で改善させた。たまにやりすぎではと思ったこともあるが、彼らに感謝。