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「しごき」の連鎖という愚行。 

text by

海老沢泰久

海老沢泰久Yasuhisa Ebisawa

PROFILE

posted2007/10/18 00:00

 いま、ぼくは非常に腹を立てていることがある。

 相撲界では「かわいがる」というらしいが、スポーツの世界におけるしごきと称する暴力だ。

 時津風部屋では、入門したばかりの17歳の若者がそれで死んだ。将来への希望に燃えて入門したはずなのに、何という死に方だろう。

 これでも相撲好きの文化人たちは、相撲を日本の伝統だの文化だの神事だのといいつのるつもりなのだろうか。こまっしゃくれた亀田大毅とやらの反則ボクシングがかわいらしくさえ思える。

 当初、愛知県警犬山署はこれを病死として処理した。遺体を見た両親は、その体につけられた傷の具合から、ひと目で異常な死だと分かったというのに。きっと警察内部にもしごきに似たものがあって、少々の暴力は仕方がないとでも思っていたのであろう。そうとしか考えられない。

 他のスポーツでも同じだ。

 ぼくはスポーツは好きだが、中学でも高校でも大学でも、運動部にはいろうと思ったことは一度もなかった。運動部にはいると、しごきと称して上級生に殴られるのを知っていたからだ。

 以前、読売ジャイアンツのピッチャーだった堀内恒夫から、高校時代のつぎのような話を聞いたことがある。

 「殴る連中というのは、殴る理由がないときは、1年生がきれいにグランド整備をしたところにわざと小石を落として、それを理由に殴るんだよ」

 わずか1年か2年早く生まれたか遅く生まれたかのちがいしかないのに、なぜそういうことをされなければならないのだろう。

 そして、そういうことはいまでもつづいているのである。9月27日に学生野球協会が不祥事のあった33の高校の処分を発表したが、その多くは部員や部長、監督、コーチの暴力に対する処分だった。むろん、これは表沙汰になったものだけだから、知られていないものはその何倍もあるだろう。

 上下の別が絶対的道徳だった昭和20年以前ならまだしも、戦後も60年以上がたつというのに、どうしていつまでもこういうことがつづいているのだろう。

 常識的に考えれば、現在、部長や監督やコーチをしている人たちも、かつてしごきを受けたにちがいなく、彼らが人にやられていやだったことを、人にやったり、やらせたりしていなければ、この悪しき習慣は止んでいたはずなのである。しかし、つづいているということは誰もそうしなかったのである。

 考えられる理由はひとつしかない。相撲部屋の親方にしろ、高校野球の監督にしろ、指導者の地位にいるような人々は、しごきにあってもそれに耐えて生き残った人といえる。

 その成功体験から、それぐらいの忍耐力と根性がなければ、強い力士や野球選手になれないとでも思っているのだろう。まったく愚劣な考え方だ。

 しかし、堀内の例でいえば、彼が200勝投手にまでなったのはしごきに耐えたからではなかった。野球の才能に恵まれていたからだ。

 「おれがそれでも野球をやめなかったのは、野球が好きだったからだよ。それだけだよ」

 彼はそういっている。

 おそらく、堀内とは反対に、才能があっても、殴られるのがいやで止めてしまう若者の方が多いだろう。時津風部屋で死んだ若者もその直前に、やめたいから部屋に迎えに来て欲しいと父親に訴えていたと聞く。

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