MLB Column from WestBACK NUMBER
メジャー入りを目指す、40歳の挑戦。
text by
菊地慶剛Yoshitaka Kikuchi
photograph byYasushi Kikuchi
posted2006/11/22 00:00
家族の後押しを受け、2002年に9年間務めたパ・リーグを退職し、翌年再渡米。アメリカでは日本での経歴はまったく実績として評価されないため、再び審判学校に入り直し、ゼロからのスタートを切った。そして2004年からルーキー・リーグで採用され、現在に至っている。
「(審判を)やっていることは楽しいし、まったく苦にならない。でも生活面は苦しいです。マイナーリーグは選手もそうですが、給料はシーズン中だけしか出ないし、決していい額でもない。思った以上に大変です」
アメリカではマイナー選手がオフに別の仕事につくというのは決して珍しくないが、平林さんもオフは家族の待つ東京でサラリーマンをしているという。家族の理解がなければ決して続けられることではないだろう。
選手とは違い、勤続年数が長い分審判がメジャーに昇格するのは“狭き門”と言わざるを得ない。平林さんの説明では、マイナーからメジャーに昇格するまで「平均で7〜10年」だという。遠回りをしてしまった平林さんにとって、年齢的にも厳しい状況であることは間違いない。とにかく自分には応援し続けることしかできないが、平林さんの夢が叶うように心から祈るばかりだ。
最後に前回の田口壮選手に関するコラムで、読者の方から「田口選手が入団してから現在まで残っている選手が3人ではなく4人では」という指摘を頂戴した。何とプホルス選手を省いてしまうという大チョンボを冒していた次第だ。お詫びするとともに、読者のご協力に感謝します。