MLB Column from WestBACK NUMBER
メジャー入りを目指す、40歳の挑戦。
text by
菊地慶剛Yoshitaka Kikuchi
photograph byYasushi Kikuchi
posted2006/11/22 00:00
今年はオフを迎えた途端、何かと慌ただしい日々が続いている。松坂大輔投手を皮切りに、岩村明憲選手、井川慶投手が立て続けにポスティングシステム(入札制度)によるメジャー移籍が決まり、さらには桑田真澄投手や岡島秀樹投手もメジャー入りを表明するなど、近年にない日本人選手の“メジャー・ラッシュ”に沸いている。現在は松坂投手が代理人と会談するためLAに滞在中で取材に追われているが、今後も上記選手らがアメリカ入りする可能性が高く、まだまだ気の休まる時間はなさそうだ。
そんな中、以前にこのコラムで紹介したMLB直営のアカデミーで働く知人からメジャー入りを目指している日本人を紹介された。平林岳さん、40歳。もちろん年齢から察せられるとおり、選手ではなく審判をしている。今シーズンは1Aのミッドウェスト・リーグで審判を務めていたが、メジャー昇格を果たせば日本人初ということになる。
平林さんは審判という仕事を心から愛している。元々は日本のプロ野球審判を目指していたのだが、学生時代から3度の一般公募試験を受けて失敗。それも1回は内定まで受けながら、視力不足で最終段階で落とされてしまった。夢を追い続けながらも月日だけは過ぎて行き、26歳の時アメリカ行きを決意する。
「チャンスは20代後半までで、そろそろ諦めようと思っていた頃でした。そんな時、アメリカには審判学校があり、成績が良ければプロになれるシステムがあると知ったんです。とりあえず一度学校でやってみたいという気持ちもあったし、他の生徒たちと一緒にやってみて自分の技術を比較してみたかった。そこで劣っているのなら諦められるし、できる自信を持てたらアメリカで目指そうと考えました」
そして学校卒業後は運良くマイナーリーグで採用され、2年間ルーキー・リーグや1Aリーグで審判を務めた。そして、再び平林さんに転機が訪れる。パ・リーグから「日本に帰ってくる気があるなら」と勧誘を受けた。ちょうど結婚を考えていたこともあり、さらに元々日本のプロ野球の審判を目指した平林さんは帰国を決意。1994年から念願のパ・リーグの審判の職についた。
「(審判を)やっていくうちに、日米の違いに違和感を抱いていきました。野球自体も違うんですが、審判のポジションはもっと違う。そして徐々に帰ってきたことに悔いを感じるようになったんです」
すでに妻子を持つ身。再び夢を追いかけるのはリスクもあり、自分の思いは心中に潜め続けた。しかしその一方で、日本人メジャー選手の活躍で連日放映されるメジャーのTV中継で、かつての同僚たちがメジャーの試合で活躍する姿を目の当たりにし、「あいつらがやれるなら自分にも」という気持ちがさらに強くなっていったという。
「ある時妻が病気で入院したことがあったんです。その時彼女の方から“もしアメリカでやりたい思いがあるのなら、やれる時にやった方がいい”と言ってくれたんです」