チャンピオンズリーグの真髄BACK NUMBER
紡がれる壮大なドラマ。
text by
杉山茂樹Shigeki Sugiyama
photograph byAFLO
posted2004/10/26 00:00
ユベントスとバイエルンは、ともに欧州クラブランキングの上位国。長い歴史を持つチャンピオンズリーグで、過去に何度も対戦を重ねてきた印象がある
が、実際は10月19日に行われた一戦が初顔だった。翌20日に対戦したバレンシア対インテルが、近年、何度も顔を合わせているのとは対照的である。
20日、「サンシーロ」で行われたミラン対バルセロナの対戦では、'93〜'9年シーズンの決勝を思い出す。
舞台はアテネの旧オリンピックスタジアムで、下馬評では“バルサ”が上回っていた。記者用の資料に記載されていた識者予想では、その数が8割以上にのぼっていた。バルサの監督はクライフ。外国人選手の顔ぶれもロマーリオ、ストイチコフ、クーマンと豪華そのもの。
別名「ドリームチーム」は、しかし0-4でミランの軍門に下る。その4日前に、ドラマ仕立ての大逆転劇でデポルティーボを振り切って国内リーグ優勝を果たし、喜びすぎてしまったツケが、4日後もろに出た格好だ。そして、バルサの黄金時代は、それをもって終焉を迎えた。
ライカールト&テン・カーテのオランダ人コンビによって率いられる現在のチームを、バルセロナ人たちは、早くも「ドリームチーム」と称し、囃し立てている。外野から見れば、時期尚早に見える一方で、サンシーロの現場に足を運べば、ふと感慨に襲われる。アテネの決勝以来11シーズンぶりに復活なるか?強豪ミランをアウェーで下せば「ドリームチーム」を素直に受け入れたくなるが、敗れればまだまだとなる。僕はこの試合を試金石として捉えていた。
結果は0-1。シェフチェンコの一発にバルサは沈んだ。まだ、このチームは疑って掛かった方が良い。とはいえ、可能性は感じる。負け方は決して悪くなかった。最後、クリンチの連続で逃げ切ったミランより明るい希望が持てる。試金石は、次節カンプノウで行われるリターンマッチに持ち越しにしたい。
第3節では、19日に行われた、レアル・マドリー対ディナモ・キエフも、思い出に残る対戦になる。'98〜'99年シーズンの準々決勝。その時はディナモ・キエフがまさかの勝利を飾っている。ヒーローにはシェフチェンコが輝いた。20日にサンシーロで決勝ゴールを決めたウクライナ人のストライカーは、6シーズン前には、バルサの宿命のライバルに、引導を渡す役を演じていた。「サンティアゴ・ベルナベウ」で行われた6シーズン後の対戦は、マドリーが1-0で、ディナモ・キエフを振り切った。もしマドリーが敗れれば、2次リー
グ進出が8割方難しくなった試合。銀河系軍団の崩壊に繋がった試合だ。マドリーはディナモ・キエフの猛攻をギリギリのところでしのぎ、崩壊を食い止めた。
マドリーはシェフチェンコ不在にとりあえず救われ、バルサはシェフチェンコにとりあえず泣かされた。
'93〜'94年シーズンにバルサを倒して優勝したミランは、翌シーズンも決勝に進出した。舞台はウィーンの「エルンスト・ハッペル」で、相手はアヤックス。そしてそのリーダーは、現バルサの監督、ライカールトだった。とはいえ、彼は元ミランに所属していた選手。当時、ミランがお家芸にしたプレッ
シングフットボールには、欠くことのできないスーパープレイヤーだった。
だが、そのアヤックスも翌シーズン('95〜'96年)の決勝では、ユベントスにPKで敗れた。
またユベントスは、そのシーズンから3年連続で決勝に進出したものの、優勝は最初のシーズンのみ。翌'97〜'98年シーズンは、ミュンヘン五輪スタジアムで、ドルトムントに敗れ去った。
面白かったのは、その時のスタジアムの反応で、地元のバイエルン子は、同胞ドイツのドルトムントではなく「憎いのは、遠くの敵より近くの敵」とばかり、ユベントス方を応援した。
つまり、ユベントス対バイエルンは、正真正銘の初顔だったというわけ。
ちなみに、ユベントスが翌'97〜'98年シーズンに敗れた相手はレアル・マドリー。銀河系軍団の栄華は、そこに端を発している。
因果は巡る。ドラマ仕立てであり、謎めいてさえもいる。壮大な浪漫や夢、スペクタクルも抱かせる。チャンピオンズリーグとは、長くつき合うことをお勧めしたい。