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阿部勇樹 鉄人の存在証明。
text by
小齋秀樹Hideki Kosai
posted2007/11/29 00:17
右アウトサイド。
浦和レッズのその場所は山田暢久の不動のポジションだった。しかし、山田は右足に肉離れを負い10月末に離脱を余儀なくされた。11月7日、イランでのACL決勝第1戦、そこにいたのは阿部勇樹だった。
本人が右サイドでの出場を告げられたのは試合当日、ミーティングでのことだ。「練習も、そこに入ってやってはいなかった」と阿部は振り返る。戸惑いはあったが、前向きに捉えた。
「それがチームのためになるのであればやりたいですし、その試合でそこのポジションで必要とされるなら、やらなければいけない」
阿部にとって、右アウトサイドはレッズで務める実に7つ目のポジション。それまでにリベロ、左右のストッパー、ボランチ、4バックの左と3バックの中盤左アウトサイドをこなしていた。左右のアウトサイドは、初めて経験する位置でもあった。
「びっくりはしますけど、いきなりGKやFWやれって言われたわけじゃないですし、仕事内容は比較的似たものでしたから」
淡々とそう語る。だが、FWをやれと言われれば、彼はやるだろう。
「DFでプレーしてても、流れのなかで前に出ればFWのプレーが求められるわけですし、その時々で自分が立っている位置で求められる仕事は決まるので、いろんなポジションをやるのはいい経験になると思ってます」
阿部が不慣れなポジションを務める際に重視するものがある。自分ができること、できないことの峻別だ。左アウトサイドで出場した際、「華麗なフェイントは持ってないので、シンプルにクロスを上げたり、シュートで終わらないと」と苦笑していたが、左が右に変わっても事情は同じだ。タイミングを見てスペースに走りパスを貰いはするが、1対1の勝負をしかける場面は皆無に近かった。
「できないことが何かをわかっていないといけないし、その上で、自分に何がやれるか考えないといけない」
阿部ができること。守備に大きな問題はない。では、ドリブルが不得手な彼が攻撃面で貢献できることは何か──。決勝第1戦と第2戦の間に行なわれた川崎フロンターレとのリーグ戦で兆候はあった。後半19分、逆サイドの平川忠亮がペナルティエリア角でボールを持つと、阿部は右手を挙げて自分の存在を示しつつゴール目指して猛然と駆け出した。平川が右足で巻いたボールが中央のDFを越えて飛来し、阿部はヘディングシュートを放つ。ゴールはならなかったが、それこそが“解答”だった。ドリブルでのチャンスメイクはできない。だが、機を見てエリア内へと飛び込み、シュートを放つことは阿部の“自分にできること” だった。
3日後に迎えた決勝第2戦、1-0とリードしていた後半26分、永井雄一郎のシュートを相手GKが弾き、こぼれたところを阿部は頭で押し込みACL優勝を大きく引き寄せる。試合後、本人は「なぜあそこにいたのかわからない。サポーターの声援が背中を押してくれたのかも」と語った。だが、サポーターの力だけではなかったろう。永井がシュートを放つ直前、ボールは左サイドにあった。右アウトサイドで“自分にできること”を彼の身体は堅実に実践していたのだ。
阿部の右アウトサイドでの起用は、結果的に、山田の負傷をカバーしただけに留まらなかった。当初、山田の代役候補だった永井が、不調の田中達也に代わってFWに戻り、2得点に絡んでMVPを獲得。阿部が右アウトサイドに入ることで空いた場所は堀之内聖がきっちりと守ってみせた。浦和は、チーム全体で流動的なポジショニングを採用することで、タフなスケジュールを乗り切った。
「プレッシャーはある」と語っていた移籍1年目、阿部勇樹は栄光をひとつ手にした。だが、これははじまりにすぎない。