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巻誠一郎 「努力は人を裏切らない」
text by
佐藤俊Shun Sato
posted2006/06/08 00:00
W杯のメンバー発表で、ジーコが23番目に「マキ」と呼んだ瞬間、巻誠一郎はキョトンとし、「俺が?」というような戸惑いの表情を浮かべた。
一度はジーコに見切られた男だった。3月30日のエクアドル戦後、ジーコに呼ばれて「もう代表に呼ぶことはないだろう」と非情な通告をされた。
だが、巻は簡単には諦めなかった。中断前のJリーグで大活躍し、キリンカップのメンバーに滑り込むと、ブルガリア戦で1ゴールを決め、スコットランド戦も途中出場し、献身的なプレーで必死にアピールした。スコットランド戦が終わった夜、そのまま静岡に移動し、深夜2時半ごろ就寝。翌日、午後1時からのナビスコカップ清水戦で後半29分から途中出場し、最後までアピールを続けた。その諦めない気持ちがジーコに通じたのだろう。久保竜彦のコンディション不良という事実も選考に大きく影響したが、巻はラストチャンスをモノにしたのである。
'03年のジェフ市原(現・千葉)入団当時、現場からは「巻の技術はプロじゃ通用しない」と酷評された。実際、身長こそあるがスピードや跳躍力など身体能力が高いわけではない。テクニックにも乏しい。シュートの精度も主力FWだったチェ・ヨンスとは雲泥の差があった。それでもケガを押しても試合に出る根性と「巧くなりたい」という貪欲さだけは誰にも負けなかった。「決めたゴールよりも外したゴールをよく覚えている」という研究熱心さもプラスに作用した。オシムの練習からいろんなことを学んだのも大きい。そうして地道に努力を続けた結果、ジェフで試合に出られるようになった。それが日本代表選出に繋がったのである。
しかし、1年前は代表に名前すら上がらなかった男が、なぜこれほどまで成長し、最後にW杯代表メンバー入りを果たしたのか。
「東アジア選手権に出たのが大きいですね。初めて代表に入って、代表選手の技術とか意識とかを身近に感じたり、マスコミに注目されたり、すごくいい刺激を受けたと思うんです。それからチームに戻って変わったなぁと思いました。プレーだけじゃなく、下の世代から話をされたりして兄貴分みたいな存在になっていきましたからね」
ジェフ千葉のチームメイトである阿部勇樹は、そう言った。
'05年8月の東アジア選手権、期待された久保は腰痛で代表を辞退し、鈴木隆行も精神的な疲れで招集を見送られた。その結果、184センチの高さを持ち、当時18試合で8ゴールを挙げていた巻が初めて代表に選ばれたのである。巻にとっては何もかもが新鮮だった。同じFWの玉田圭司や田中達也、MF小笠原満男の技術に刺激を受けた。試合も北朝鮮戦、中国戦、韓国戦に出場した。