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ドラガン・ストイコビッチ 「チームを走らせる妖精の笑顔」
text by
木村元彦Yukihiko Kimura
photograph byTamon Matsuzono
posted2008/05/29 17:54
6年半の歳月を経てストイコビッチは監督として名古屋の地に再び降り立った。ピクシーストリートという名前を冠した道まで存在する街の英雄はしかし、指導者経験が無かった。ドイツW杯の惨敗を引き合いに出し、そのことに疑念を漏らすファンも少なからずいた。そして「これからはピクシーではなくミスターと呼んでくれ」という発言に違和感を覚えた関係者もあった。愛してやまない「伝説」をどう評価すれば良いのか。周囲は目を凝らし、やがて開幕を迎えた。
開幕の京都戦を1-1で引き分けた翌日だった。リカバリーの練習が終わる。三々五々引き揚げていく選手たちと一緒にグランドを出ようとしていた玉田圭司は、いきなり監督に呼び止められた。
一日のメニューが終わったことで弛緩していた空気が、再び引き締まった。
「まあ、座れ」。ストイコビッチは芝生を指しながら、自らも隣に腰を下ろした。
「何を言われるのだろう」
小さな緊張が走った。
玉田にとってストイコビッチは特別な存在だった。柏から名古屋に移籍して苦しい2年が経過していた。前年はケガもあり、リーグ戦14試合で5得点という近年で最低の成績だった。自分でも「環境を変えて立ち直りたい」と感じていた玉田は'07年シーズンが終わると同時に海外への移籍を決意していた。W杯ドイツ大会でセレソン相手に強烈な先制ゴールをぶち込んだストライカーにはスイスのクラブが興味を持っていた。
越境寸前まで行った男を踏みとどまらせたのは「ピクシーが監督として来る」の一報だった。ストイコビッチ現役最後の年に柏のトップに昇格していた玉田は、アイデア溢れるプレーを繰り出す相手のエースをベンチからゾクゾクしながら見ていた。
一体彼はどんな人間なのか。玉田は人としてストイコビッチに会いたかった。
今、目の前でその男が厳かに口を開いた。
「昨日のプレーはあまり良くなかったな」
ああ、やはり叱られるのかと思った。自分でも前半はそれなりに及第点が出せるけれど、後半はボールも来なくなって孤立してしまったという反省があった。
「そうですね」と神妙に返した。
突然、監督は満面の笑みを漏らした。
「いや冗談だよ」
続けて言った。
「全然良かったよ。チームのために凄く貢献してくれていた。俺はお前をベストの選手だと思っている。代表に入れ、そして日本のベストの選手になれ。ベストだ。日本のベストプレーヤーになれ。お前にはそれができると思っている」。ひと通り熱く語ると、監督は風のように去った。