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ドラガン・ストイコビッチ 「チームを走らせる妖精の笑顔」
text by
木村元彦Yukihiko Kimura
photograph byTamon Matsuzono
posted2008/05/29 17:54
ほんの数分の会話だった。それでも芝生から立ちあがったとき、玉田は生まれ変わったような感触を持った。
それは忘れかけていたものだった。確かに5歳からサッカーを始めて以来、誰かに負けるのが大嫌いだった。
「監督に言われたっていうのが凄く自信になったんですね。自分でも負けず嫌いだし、気づいていたんだけど、ああいう人から言われたことで心から嬉しかったし、逆に責任感が生まれてきました」
指揮官は攻撃的なサッカーを標榜し、その通りのスタイルを築き上げた。頻繁なポジションチェンジ、流れるようなサイド攻撃。中盤は常にコンパクトでシンプルに素早くパスを回す。玉田の前線からの果敢なチェイシングは猛威を振るった。特に序盤は華麗なテクニシャンらしからぬ追いまわしで、相手に脅威を与え、自分たちのペースに引きずり込む先兵となっていた。チームは2戦目以降、破竹の6連勝を果たし、一時は首位に立った。
今季はほとんど戦力補強をしなかったが、ストイコビッチは竹内彬を右SBにコンバートするなど、若い選手の適性を見極めて、やりたいサッカーを見事に具現化していった。
中村直志はかつて大学サッカー界で一人突出したドリブラーだった。プレースタイルが変わったのはグランパスに入団してズデンコ・ベルデニックに出会ってからである。初代スロベニア代表監督は直志をボランチに起用、孤高のドリブラーはここで守備の楽しさに目覚めた。視野が広がり、ボールを散らすセンスが覚醒された。イビツァ・オシムが「ナオシはオールラウンド(=ポリバレント)」と評して日本代表に呼ぶまでに至った。しかし、前任のセフ・フェルフォーセンはときに先発から外すこともあった。やがてセフが去り、ピクシー就任。スロベニア、ボスニアと旧ユーゴ系の監督に才能を見いだされ、まるで申し送りがあったかのように今度はセルビア人監督の元でプレーをすることになった。
「漠然とですが、自分のプレーをしっかりと見極めてくれる人じゃないかと考えていました」。予感は当たった。新監督は直志に中盤で不動の位置を与えると、サイドチェンジ、ハードワークの意識づけを徹底させた。前年はフォーメーションの問題もあって守備に追われて前に行けず、プロデビュー以来、初めてリーグ戦ノーゴールに終わっていた。今年はアタッカー時代の嗅覚を活かして前に飛び出す回数が格段に増えた。玉田へのホットラインも確立してアシストも数回決めている。今、名古屋の攻撃は直志を起点に始まると言える。
直志は、自分とチームの変化を「監督によるメンタルケアのおかげ」と見る。チームでストイコビッチの現役時代を知る数少ない選手の彼は、実際、チームが動きだすと、新しい指揮官の振る舞いを目の当たりにして、「すごく選手に気を遣っている。モチベーションを上げて、その上で細かく組織立ったサッカーを伝えようと配慮している」と感じていた。
(以下、Number704号へ)