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ブッフバルトがもたらした勇気。 

text by

湯浅健二

湯浅健二Kenji Yuasa

PROFILE

posted2004/12/28 10:43

 「前にスペースがあるのに仕掛けていかないのは、どう考えても不自然だ。リスクを負わないサッカーなんて存在しないんだよ」

 浦和レッズ監督、ギド・ブッフバルトは語気を強める。彼の言葉どおり、浦和はあくまで攻めの姿勢を貫いた。

 第1戦は“フォックス”(したたかな勝負師)岡田武史監督の戦術に抑え込まれただけでなく、横浜FMが描く戦い方のツボとも言えるセットプレーから決勝点を奪われた。

 勝利が必須の第2戦。ブッフバルトは田中達也をベンチに温存し、山田暢久をトップ下に置くという策を採る。ドリブラーを1人減らすことで、組織的なパス展開を促し、後方からのオーバーラップも活性化しようとする意図があった。そしてそれが功を奏す。活発なボールの動き、サイドからのクロス攻撃、虚を突くロングシュートなど、浦和の攻めには、横浜FMの守備が容易に想像、対応できないような効果的な変化が現れたのだ。それが、90分間で1-0という結果を生み、2試合合計で五分に持っていけた背景にあった。

 「シーズンを通して、最も優れたチームだったことを誇りに思う」

 ドイツ代表選手として世界の頂点に上り詰めたブッフバルトの言動には、負け惜しみの雰囲気など微塵も感じられない。そこには、'99年の16チーム制移行以来の年間最多勝ち点を記録した自負はもちろん、“解放された攻撃サッカー”で存在感を発揮したという成果への確信があった。

 心理学者のアブラハム・マズローが言うように、安全、安心を志向するのは人間の根底的な欲求だ。しかしサッカーでは、その欲求を満たすことは、確実に後退を意味する。自分が前に出たら守備に穴が空きはしないか、たとえ前に出てもパスが来ないのでは、などと後ろ髪を引かれることなく、リスクにチャレンジして攻めに出る積極的なプレー姿勢こそが、選手たちの発展を支える唯一のリソースなのである。今季の浦和の戦いぶりは、Jリーグだけでなく、日本サッカー全体にとっても素晴らしくポジティブな刺激になっているはずだ。

 昨季までの監督ハンス・オフトが浦和で採用したのは、ガチガチの戦術サッカーだった。古色蒼然たるオールコートマンマークを敷いたり、チャンスにもかかわらずオーバーラップを抑制したり……。得点するための最終的な仕掛けは、エメルソンに代表されるドリブラーの個人勝負に任せきり。まさにそれは、守備陣と攻撃陣が前後に分断された“規制サッカー”だった。確かに短期的にはある程度の結果を残せるだろうが、それでは選手やチームの中長期的な発展など望むべくもない。

 対して、ブッフバルトは就任当初から、規制からの解放をターゲットに置いていた。

 「場合によっては、戦術という枠組みさえも無視するくらいの積極性を持たせなければならないと思った。チャンスがあればディフェンダーだって、どんどん最前線まで飛び出していくのが僕が目指すサッカーだ」

 選手たちからも、今季初めの頃からすでに「規制がなくなったんだから、サッカーが活き活きしてくるのも自然な流れ」といった言葉が聞かれるようになっていた。

 「選手たちは、リスキーな攻めにチャレンジしていくからこそ、喜びや楽しみを見出せるし、多くを学べる。もちろんそれを実行するためには、彼らの守備意識をもっと高めなければならないけれど」

 攻撃サッカーを目論むブッフバルトが腐心したのは、リスキーな攻めがネガティブな結果につながってしまう可能性を最小限に抑えること。そのために、選手に主体的かつ積極的な守備意識を植え付けることだった。

 サッカーは、イレギュラーしかねないボールを足で扱う、不確実要素が満載のスポーツである。その中で勝利の確率を高めるために、11人でどう補い合ってプレーするかを考案し、チームとして戦うわけだ。ブッフバルトが意図したのは、戦術的な規制という後ろ向きの方策ではなく、各自の守備意識の高揚という前向きのリスクマネージメント。それは自然と攻撃サッカーを活性化させていった。

 しかし、浦和の選手たちが、規制から卒業して本当の意味で解放サッカーを楽しめるようになるまでには、紆余曲折があった。ファーストステージでは、狙いがうまく機能しない場面も多かった。

 相手のボール保持者へチェックに行っても、そこからパスをもらおうとしている選手へのマークが甘くてパスをつながれてしまう。前線の選手が相手ボールをチェイシングする姿にも勢いがない。解放サッカーの方向へ振れ過ぎた選手たちは、その基盤であるはずの守備に関してイメージが膨らまなくなっていたのだ。

 そこでブッフバルトは、チームに対して強烈なメッセージをぶちかました。守備も含め明らかにプレー内容が衰えていた山田暢久を、5月2日の広島戦でメンバーから外したのだ。それは、キャプテンである彼をベンチにも入れないという徹底したものだった。

 メッセージは効いた。山田の自律的な復調過程と並行して、他の選手たちの守備意識もどんどん活性化していったのだ。互いに使い、使われるというチームプレーのメカニズムを理解し、自分は何をやるべきか、一人一人が考え続ける姿勢が生まれた。それは、どの選手がリスキーな攻撃を仕掛けていっても、その後の守備でバランスの崩れを最小限に抑えられるレベルにまで高まっていった。セカンドステージでの+25という驚異的な得失点差は、浦和が見せたバランスのとれたプレーを象徴していた。

 戦術的な規制サッカーと、リスクに挑む精神にあふれる解放サッカーの相克。誤解を恐れずに言えば、それは、勝負強さと美しさ(楽しさ)のせめぎ合いとも表現できる。勝つことがまず第一であるプロでは、戦術プランを優先させるケースが多くなるのも道理だが、戦術の優先度が高くなればなるほど、選手たちの自由な発展の可能性が阻害されてしまうことも事実。だからこそ、コーチにとって永遠のテーマなのである。

 浦和は、戦術的な規制を最小限にとどめ、全員の主体的な守備意識を高揚させることで、リスクにチャレンジできる攻撃サッカーを目指した。そして高いレベルに到達した。

 「我々が展開したサッカーは、その魅力を十分にアピールできたという意味で、日本のサッカーにとっても大いに価値のあるものだったと思う」

 ブッフバルトの言葉には重みがある。

 来季の浦和に対する興味も大きく膨らむ。ケガで戦列を離れていた山瀬功治と坪井慶介も復帰する。特に、山瀬の復帰には大いなる期待が抱ける。彼はセカンドステージの新潟戦で左膝の靭帯を切ったが、それまでの数試合で浦和が提示したサッカーこそ、ブッフバルトがイメージする最高のサッカーだったと思うからだ。山瀬が攻めを作っていたときの浦和は、組織的なパスプレーと個人勝負プレーのバランスが非常によかった。だからこそ、ドリブラーたち個々の能力も最高の形で活かされていた。ただ彼の離脱によって、ドリブルばかりが目立つようになっていった。ツボにはまれば、レベルを超えた破壊力を見せる強力なドリブル。だが、それゆえに相手の守備からターゲットに絞り込まれやすい面もある。まさに両刃の剣。横浜FMとの頂上対決で、あれだけ押し込みながらもフリーキックでしか得点できなかった理由の一つはそこにあったと思う。

 とはいえ浦和は、リスクへのチャレンジを主体的に楽しめるという域にまで発展してきた。このままさらに、選手個々の力が相乗的にチーム力を向上させられるように進化してほしい。

浦和レッズ

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