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上原浩治 「何でしょうか、この楽しさは」
text by
鷲田康Yasushi Washida
posted2006/04/06 00:00
満員のスタンドのほぼ7割は韓国の応援団だった。
「テー・ハー・ミング!」
太極旗がいたるところで打ち振られ、地鳴りのような合唱がスタンドに反響する。まるでソウルかプサンの球場にいるような錯覚に陥りそうだが、確かにここはアメリカのカリフォルニア、サンディエゴのペトコパークだった。
「もっと騒げってかんじですかね」
上原浩治は不敵に笑った。
3月18日。WBCで3度目の対決となった韓国との準決勝は7回を迎えていた。表の攻撃で日本打線が福留孝介の2ラン、里崎智也、宮本慎也、イチローのタイムリーとつながって一挙に5点を奪取。その援護を受けて上原はエースとしての決意を胸にマウンドにあがっていた。
「ピッチャーにとって一番大切なのは、点をもらった直後をきちっと抑えきること。そうすれば試合の流れは、必ず自分たちの方にくる。韓国の声援はまったく気にならなかった。マウンドに上がってしまうと、不思議と自分に都合よくそういう音は遮断されていくんです。見えてくるのは相手のバッターだけですから。とにかく一人ずつ、目の前のバッターに集中する。ここが最大の勝負、ここを抑えきれば勝てると思っていましたから。だからスタンドの韓国の声援は、まったく気にはなりませんでした」
準決勝95球の球数制限に近づきつつあった。先頭の李承_を148kmの外角ギリギリのまっすぐで見送り三振。メジャー40発の崔熙渉をフォークで空振りの三振に仕留めると、李晋暎の安打をはさんで最後は鄭成勲を外角ストレートで見送り三振に切ってとった。3つのアウトすべてを三振で決めて、勝負の流れを完全に日本へと引き寄せた。
「完璧なピッチングでしたね。三振を意識したわけではないけど、とにかくここが勝負だという気持ちが、ああいう結果につながったんだと思う。それはこの試合全部を通しても同じだったと思います。もちろん韓国に連敗していたこともまったく関係なかったです。むしろここを勝たなければ決勝に進めないということしか頭にない。どうしても勝つピッチングをしなければならないという気持ちだけでした」
1次リーグ、2次リーグは4カ国によるリーグ戦形式。1つの負けが必ずしも大会からの脱落を意味するわけではなかった。実際に日本は予選リーグの2度の対決では接戦の末に韓国に敗れている。2次リーグでは1勝2敗という成績ながらアメリカがメキシコに敗れる波乱で、奇跡的に準決勝にコマを進めることができた。
だが、この試合だけは違う。敗れることは、すべてが終わることを意味する。勝って決勝戦へと進めれば、いずれにしても最後の戦いとなる。そういう点ではこの大会で最もプレッシャーのかかる戦いが、この準決勝の韓国戦だったかもしれない。
負けられない試合には上原が常に指名された。
勝ちたい試合と負けてはならない試合。日の丸を背負った試合で、上原は必ず後者の負けられない試合で先発に指名されてきた。
アテネ五輪でもアジア予選の長嶋茂雄監督、本番の中畑清ヘッドコーチは常に最初の試合の先発にこの右腕を指名した。そして今回のWBCでも1次リーグの中国戦、2次リーグのアメリカ戦と上原は必ず各ラウンドの初戦のマウンドに上がっている。投手の球数制限という特別なシチュエーションの中での戦いで、やはり王貞治監督も負けたくない試合では、上原の安定したピッチングにかけてきた。
「野球っていうのはヒットを打たせない競技じゃなくて、ホームを踏ませない競技ですから。いくら打たれたって、その走者を返さなければいい。だから常に目の前のバッターに集中することが大切なんです。もちろん状況判断は非常に大事だけど、逆にそういうことを考えすぎて打席にいる打者への集中力をそがれてしまっては意味がない。僕はマウンドに立てば、ある意味、目の前、目の前と切り替えて一人一人、一つ一つのアウトを取ることしか考えない」
キリキリとした状況の中で、上原はまるでダンスでも踊るかのごとく軽快にマウンドではねた。面白いようにスライダーが決まる。初球、いきなりフォークがストンと落ちて、韓国打線のバットは翻弄された。―
「韓国とはアマチュア時代から何度も対戦していたんで、総体的な特徴はつかんでいたつもりです。基本的には真っ直ぐには強いけど、スライダー系には弱点がある。この大会で2試合の韓国戦を受けてきたキャッチャーの里崎くんも同じ考えだった。だから試合前にスライダー中心の組み立てをしようということで……。実際にこの試合ではいつもの倍近いぐらいの球数のスライダーを放っていると思います。逆に相手は頭の中にフォークがあるから、たまに放ったフォークにも中途半端なスイングになっていましたね」
一人一人を確実に料理していった結果が、7回を散発3安打の零封という内容だった。投じたボール数は86球。そのうち実に67球がストライクで、ボール球はわずかに19球しかなかった。テンポよくストライクを先行させるピッチングは、この大会、過去2戦の日韓戦の重苦しく、どんよりとしたムードを一変させた。日本打線の爆発も、このアップテンポの軽快なリズムを生み出したと言ってもいいものだった。
「投げることが楽しかった。それがこの大会の一番のエネルギーだった」
全3試合の先発。どれも厳しい試合の連続で、特に2次リーグのアメリカ戦とこの韓国戦は1点をしのぎ合う、胃の痛むような展開だった。
「スタンドを見上げるたびに、どわあっと感動が襲ってきた」
それでも上原自身は、勝負とは別のところで自らのピッチングを楽しんでいた。
「何なんですかね、この楽しさは……」
上原は首を傾げた。
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