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ドリームチーム北京への教訓。
text by
鷲田康Yasushi Washida
posted2004/05/06 00:36
エリニコ・オリンピック・コンプレックスのほぼ北端に位置する野球会場。メインスタジアムの2階席から、左中間の後方に遠くカヤックの会場が見える。満員に膨れ上がり競技がクライマックスになると風向きによっては大歓声がかすかに聞こえてくる。ヨーロッパでカヤックがこれほど人気のあるスポーツだと初めて知ったが、それに比べてふと周りを見回すとこちらは空席が目立つばかりだ。
地元のギリシャ戦でも、ついに満員になることはなく、チケットが完売したのは日本が勝ち進むことを当て込んで、ツアー会社が買い占めた幻の決勝戦のチケットだけ。「上原ってどの人?」サブ球場で行われた中華台北戦のスタンドでは、ツアーのおばちゃんがグラウンドを見回して、隣のおじさんに聞いていた。この試合の先発は上原浩治で、いま、まさにマウンドで力投している最中のことだった。これが今回のオリンピックにおける野球という競技と長嶋ジャパンと呼ばれた日本代表が立っている場所だった。欧州という地域性の中では非常にマイナーな競技だった。一方、日本では普段はまるで興味のない人々をも巻き込んで、今大会の長嶋ジャパンの注目度はかなり上位のものだった。
そこに日本の落とし穴はあった。
9戦全勝で金メダル。この目標を誰もが疑問に思わなかった。初めてプロ野球の選手だけで結成された“ドリームチーム”には、当たり前のようにこの目標が掲げられた。米国が予選で敗退したこともあり、ライバルはキューバだけという雰囲気がチームの中にも、それを取り巻く関係者、マスコミ、そしてファンの間にも確実にあった。
能力差がはっきりと出やすい個人競技に比べて、団体スポーツは強くなければ勝てないが、強いからといって必ず勝てるというものではない。特に野球の場合は、投手という一つのポジションが占める役割が非常に高く、試合の行方は投手の調子次第という不確定要素の多いスポーツと言うことができる。
「絶対金」の掛け声とは裏腹に銅メダルに終った長嶋ジャパンの戦いこそ、その怖さを改めて思い知らされるものだった。
「オリンピックにはオリンピックの戦い方がある。それをもう少し考えるべきだったかもしれない」。準決勝で豪州に敗れた中畑清ヘッドコーチはこう語った。
予選7試合を日本は全力で戦いきった。多少のケガを押しても、先発メンバーを固定し、がむしゃらに勝ちにいく野球だった。結果は五輪で初めてキューバを破り、豪州に負けただけという6勝1敗の1位突破。しかし、金メダルだけを考えれば、1位突破は4位通過に比べて何のアドバンテージもなかった。
「ソフトボールのように予選1位になればメダルが確定して、しかも決勝トーナメントで1回負けてももう一度、金メダルのチャンスが残るようなシステムなら別。でも、野球の現行システムでは予選の価値が低すぎる。この方式なら順位と相手を見ながら戦うことも必要だった」という中畑ヘッドの言葉は、金メダルだけを目標にすれば、予選リーグと決勝トーナメントをはっきり色分けした戦いができたはず、という反省からだった。
(以下、Number610号へ)