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桑田真澄 ~完全復刻版インタビュー~
「目に見えない力を感じながら」
text by
石田雄太Yuta Ishida
photograph byDaisuke Yamaguchi
posted2009/08/15 08:00
これ、逆だろ。誰もがそう思った。
1983年8月20日。
夏の甲子園、準決勝は7回を終わって、7-0。史上初の甲子園3連覇を目指す池田の圧勝かと思いきや、エースと4番がともに1年生だというPL学園が、大方の予想に反して大量リードを奪っていた。マウンドに立っていたのは、15歳の桑田真澄である。
「甲子園では、とにかくいろんな匂いを感じていました。黒土の匂い、芝生の匂い、マウンドにしたたり落ちる汗が暑さでジュワーッと蒸発するときの匂い、それから風が吹いたときの、ソースの匂い(笑)。焼きそばですかね、あのソースの匂いは……」
最強の“山びこ打線”に立ち向かう1年生エース。
このとき、時代の主役はまだ“山びこ打線”を誇った池田であり、“阿波の金太郎”こと水野雄仁だった。その水野が、公式戦で初めて打たれたホームラン――打ったのは、PL学園の1年生エースだった。
「あれこそが、僕がいつも言う“目に見えない力”なんです。ワンストライクからの2球目、インサイドのまっすぐにヤマを張っていたら、その球が来た。それを打ち損じて、ファウルにしちゃった。それでも、もう一球、同じ球が来るような、そんな流れを感じていたら、水野さんの手からボールが離れる瞬間、あっ、これはホームランだってわかったんです。だって、僕が一番好きなインハイだったんですよ。そんなこと、考えられないでしょう。あれは自分の力で打ったホームランじゃない。“目に見えない力”によって打たせてもらったホームランだと思っています」
15歳の、しかも8番バッターだった桑田を打席に迎えて、水野が相手を見下したとしても当然だろう。いったいこの1年坊主が何者なのか、どれほどの素質を秘めた選手なのか、そしてどんな野球人生を経てこの舞台に立っているのか――それを日本中の人が知るのは、この試合が終わってからのことだ。
「あの日、試合前のミーティングで『絶対に2ケタは取られるなよ』とか『恥ずかしくない試合をしよう』なんて言葉が出ていたんです。なんか、負けるのが前提だった。でも僕は、『なんでみんなこんなに消極的なのかなぁ』って思ってました。怖いもの知らずだったんでしょうね。あのときは何かが起こる雰囲気がありましたから。ゲームに入った瞬間、いろんな“目に見えない力”を感じたんです」
“見えない力”に導かれPL打線が火を噴いた。
桑田が最初にその力を感じたのは、1回表の池田の攻撃だった。ツーアウトを取ってから、3番江上光治、4番水野に続けざまにセンター前へ運ばれ、一、三塁。ここで5番の吉田衡も、強烈なピッチャー返しを放つ。
「江上さん、水野さんの打球、見たことのない強烈な当たりだった。まっすぐをいきなりコンコーンって打たれて、次のバッターにもいい当たりをされたんです。もしあれが抜けていたら、おそらく初回でガタガタッと崩れていたでしょうね。それを胸のところにグローブを持ってきて、うまく捌けた。フィールディングは大事だからとそれなりの練習をしてきましたから、自信はありました。そういう努力を積み重ねてきたからこそ、見えない力が味方してくれたんじゃないかと思います」
PLは、桑田のツーランに続いて、9番の住田弘行にもホームランが飛び出す。結局、この2回に一挙4点を奪った。さらに3回に1点、4回にも小島一晃のホームランによる1点を加えて、6-0とリード。あの水野に、7、8、9番という下位のバッターが揃って一発をお見舞いするという目を疑う光景が、甲子園を舞台に繰り広げられていた。