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明治大学 厳冬の八幡山。
text by
平塚晶人Akihito Hiratsuka
posted2009/01/29 00:00
今シーズン、大学選手権の舞台に紫紺の姿はなかった。対抗戦は6位に終わり、
24年ぶりの選手権不出場という由々しき事態。名門の復興のために、
果たして今、何が必要なのか。寒風の吹き飛ぶ八幡山グラウンドを訪ねた。
それは不思議な光景だった。
12月7日午後3時43分、早稲田のゴールキックがゴールポストにはね返されて9年ぶりの対早稲田戦勝利が決すると、明治の選手は全身を震わせて雄叫びを挙げ、フィールド上に崩れた。そして、早稲田とのエール交換を終えるや全速力でスタンド席の下へと駆け寄り、ブレザー組が差し出す手をジャンプしながら何度も叩いた。スタンドの下も上も、100人近い大男の顔がみな、ぐしゃぐしゃだった。
間もなく、こんな話が漏れ伝わってきた。早明戦当日、リザーブを含む22人の選手は、国立競技場の駐車場に停めたバスの中で一枚のDVDを観たという。バスに乗ることのできなかった4年生の一人から、そのタイミングで観ろと念を押されたものだった。アップテンポな曲にのせて、22人の今シーズンの名場面集が映し出される。続いて、黒地に白い文字が浮かび上がった。「明大ラグビー部杉本組は今日で終わる。『まだ一緒にラグビーをしたい』『試合に出たい』『早稲田に勝ちたい』そんな4年生のすべての思い……22人に託します」。7分余りの映像が終了した瞬間から、多くの選手は泣き通しだったという。
感動を誘う逸話ではある。だが、およそ明治らしくない。そもそも、舞台は大学選手権の決勝戦ではないのだ。そのはるか手前の早明戦で今シーズンの活動にピリオドを打っているようでは、ハッピーエンドにはほど遠い。
早明戦後の祝勝会に参加した'97年度の主将、田中澄憲(現サントリー)も、勝利の余韻に浸る部員やOBの様子と、現実のギャップに違和感を覚えたという。そのうちふと、傍らにいる現役部員にいじわるな質問をしたくなった。「早稲田に勝って選手権に出られないのと、その逆とどっちがええ?」。田中は今シーズン、多いときは週1回のペースで八幡山に足を運び、コーチとして選手と接してきた。田中の問いにその選手は、「早稲田に勝つほうです」と答えた。田中が驚いた表情を作ると、「田中さんならどっちですか」と不満げに問うてきた。「俺は両方勝つよ」。即答しながら田中は、そういう発想がぽんと出てこないことに、プライドのないチームになったのだなあという思いを強くしたのである。
北島忠治監督が亡くなって12年、明治が大学選手権決勝への道を閉ざされてから10年が経った。この間、明治が失ったものは何だったのだろうか。
毎年のように浮上するフレーズに、学生主導の限界というものがある。今シーズン主将を務めた杉本晃一にとってもまた、それは1年間悩まされ続けた命題だった。
杉本がシーズン当初にチームイメージとして据えたテーマは「縦横無尽」だった。縦かと思えば横、その逆もしかり。好例が、早明戦後半開始直後のノーホイッスルトライである。早稲田のキックを受け、SO田村優、次いでFL西原忠佑が右タッチライン沿いを単騎で突破し、そこからボールが左オープンへ展開する。この流れを予想して中央で待っていたロックの杉本は、いったん右へ切れ込むダミーの動きを入れ、即座に反転して左へ流れながらボールを受け、タックラーを振り切ってゴールラインへ飛び込んだのである。この日は90分を通してボールを歯切れよく動かすことができた。ボールを持った選手はぶちかますのでなく、抜きにいく。タックルを受けても短いパスをつないでゲインを図る。そして、密集から早いタイミングで出したボールを、浅めのコースで横へひとつふたつ移動して、センター付近で防御の網を突破する。あまたの明治ファンを唸らせる独創的なラグビーだった。夜、杉本は90分を思い返して、「ああいうラグビーがやりたかったんだ」と、心の内で何度も反芻したという。
「学生スポーツは結局、気持ちがすべてですから」
今シーズン、明治はこれに類するラグビーを早明戦まで一度もやれなかった。つまずきは新チームが始動した直後から起きた。昨季はできたはずの、たとえばチームディフェンスがうまくやれない。しかたなく人数を減らして一人一人の走るコースからチェックした。一事が万事この調子で、あらゆる場面で、進んでは戻るという作業が繰り返された。結局、5月末に行なわれた早稲田との練習試合まで、チーム戦術的な練習は一切できなかった。スコアは0対57と惨敗だった。杉本のチーム作りの青写真は大幅な修正を余儀なくされたのである。
夏合宿に入る頃からミスが蔓延し始めた。原因はまちまちである。コースどりが悪いこともあれば、その場面でどう動きたいのか、プレイヤー間の意思疎通が不十分なこともあった。ミスはその場で細かく修正しない限り、モグラ叩きのように顔を出す。杉本がミスの現場を目の当たりにしていれば、改善策を具体的に示すことができるのだが、グラウンドの隅々まで目を行き渡らせることは不可能だ。Aチームの4年生も自分のことに精一杯で、他の者のことまで手が回らない。調整の遅れと合わせて焦りが増幅する中、杉本の頭に、フルタイムのコーチがいればという思いが何度も浮かんだ。結局、ミスの芽は帝京戦まで摘み取ることができず、それが命取りとなって明治は大学選手権出場の道を絶たれるのである。
(続きは Number721号 で)