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小野伸二「オーバーエイジの重荷」 

text by

佐藤俊

佐藤俊Shun Sato

PROFILE

posted2005/02/17 00:50

 メダルへの夢が霧散したイタリア戦、ユニフォーム交換の後、小野伸二はらしくない行動をとった。上半身裸のままで、主審の前に仁王立ちし、顔を突き合わせ、納得のいかない判定を続けたウルグアイ人に執拗に食い下がったのだ。線審が制止しても小野の怒りは収まらなかった。普段の温厚な小野からは想像もつかない激しい怒りを伴う抗議だった。その姿には、オーバーエイジとして戦ってきた小野の気持ちのすべてが表れていた。

 なぜ、こんな結果になってしまったのか。

 本大会直前のドイツ合宿は、順調だった。

 この合宿からチームに合流した小野は、時間がないことを意識し、他の選手たちに気さくに話しかけて五輪代表チームに溶け込んでいった。小野の人間性に触れ、闘莉王は「伸二さんの存在は心強い」と全幅の信頼を寄せるようになった。プレーでも、最初のうちこそ、小野の声によって動き出す、依存症が目立ったが、徐々にパスを“感じて”動けるようになっていった。練習試合で思い通りのプレーができたこともあって「伸二さんがいればいける」と、選手たちの期待感も高まった。小野もまんざらではない様子だった。

 「彼らをビデオで見ていたけど、自分が入った時にどうなるか分からなかった。知らない選手もいたんでね。実際、やってみるとコミュニケーションも取れたし、展開も非常に速い。僕は“おじさん”なんで、ついていくのが大変だったけど(笑)。ボールを持った時、サイドが出て行ったり、FWが動いてパスコースを作ってくれるんで楽しかった。ただ、前にボールを運ぶ時に、出せるタイミングで出さないで無理に変な時に出してつかまる場面があった。そこをもっと簡単に前に出すようにしないと。本番じゃパス3本ぐらいでゴール前に行くのが大事なんで」

 チームは、攻撃への意識もしっかりしていた。左ウイングバックの森崎浩司はトップ下の小野に「僕は中に入るのがいいんで、たまに入れ代わってください」と試合中に言ってきた。そんな注文を率直に言える雰囲気も出来上がった。小野には予選を勝ち抜ける確信があるように見えた。

 パラグアイ戦前日は、自信満々だった。

 「やり残したことはないですね。最後の最後までいい準備が出来ました。チームは一人一人役割を徹底してやっているし、負ける要素はない。厳しいマークがあるかもしれないけど一人で戦うわけじゃないし、負けないでやっていれば他の選手の気持ちも盛り上がってくるでしょう。とにかく、どんなことがあっても楽しむということを忘れないでやっていきたい。そうすればいい結果が出ると思う」

 しかし、そんな見通しは、試合開始直後に一変した。開始5分、日本はキャプテンでもあるDF那須大亮の判断ミスで失点、選手はたちまち浮き足立ってしまった。ボランチの今野泰幸は「わけが分からなくなった」状態になり、小野も硬くなったのか、パスミスやボールを奪われるなど、らしくないプレーを見せた。楽しいはずのトップ下でのプレーも決定的な仕事ができなかった。

 「みんなロングボールを蹴るだけ。ボランチのところでボールが収まらないんで、なかなかいい攻撃ができなかった」

 状況は一向に好転しなかった、それでも一度は小野のPKで同点にした。だが、4分後に突き放され、前半37分には、やはりミスから決定的な3点目を奪われた。その時、小野は一瞬、肩を落とし、俯いた。

 それは、初めて見せる光景だった。

 これまでは、チームが失点しても「さぁいくぞ。顔を上げろ」と鼓舞し、自然とリーダーシップをとっていた。小野の負けず嫌いの性格が、多くの国際経験が、そういう態度をとらせていたのだ。だが、失点のショックとうまくいかない自分のプレー、オーバーエイジとしての責任感から、正直な気持ちが思わず発露したのだろう。それは他の選手たちに深刻な影響を与えた。五輪という未知の舞台で戦う選手たちにとって、小野伸二はメダルへと突き進む心の拠(よ)り所だった。その小野が落胆している。「伸二さんが厳しいなら……」と敏感に感じた彼らのショックは想像以上に大きかった。

 それでも後半に入ると、選手たちは落ち着きを取り戻した。シドニー大会でも初戦の南アフリカ戦、前半は相手のドリブルやスピードに対応できなかった。だが後半、高原、稲本といった選手たちは相手に順応し、最後はゲームを引っ繰り返した。小野がPKを決めて1点差になると、シドニーと同じ雰囲気がただよった。ところが62分に4点目を決められ再び意気消沈してしまった。ボランチに下がった小野もゲームの組立てに必死で、自らに課した「ラストパスやドリブルなどゴール前での仕事」は、できないままだった。試合後、小野は「みんな気持ちが乗っていないというか、いつもの力が出し切れていなかった。みんなが力を出し切れていればもっとやれたと思う」と言った。その言葉からは、自分がチームを引っ張って選手の力を引き出せなかったという自責の念がにじみ出ていた。

 一方でそういう強いリーダーシップをとることに小野は、少し違和感を感じていた。大会前「タカ(高原)はいないけど、僕が一人になってかかる負担はそんなにない。みんなよく話をするし、言いたいことは言う。そういう意味で僕が前に出る場面はそんなにないと思うし、厳しいことを言うこともない。試合中は別だけどね。特に自分が引っ張って何かやろうとか深く考えていない」と言っていたのだ。「リーダーシップは全員が持つもの」が口癖でもある。あくまでチームに深く浸透し、目立たずに「上に上がれば上がるほど自分がチームに貢献していることになる」というのが小野の考えなのだ。だが、今回はオーバーエイジである。A代表のように自分の役割を果たすだけではすまないことは承知していたはずである。山本昌邦監督もプレーはもちろん、大人しい選手たちを引っ張ってくれることを期待していた。他の選手たちも、その存在感でリーダーシップをとってくれるのだろうと思っていた。しかし、パラグアイ戦では、これまでの小野の流儀を通して敗れた。後のないイタリア戦でどのくらいリーダーシップを発揮し、前面に立って戦うか。いきなり厳しい試練を突き付けられたのである。

(以下、Number610号へ)

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