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バージョンアップ。末續慎吾、9秒台への確かな手応え
text by
折山淑美Toshimi Oriyama
posted2004/06/17 00:00
予想していた低い姿勢からのスタートではなかった。6月6日、日本選手権最終日の男子100m予選第3組、4~5歩目で顔を上げた末續慎吾は、軽い感じで100mを走りきった。追い風1・7mで10秒13。1組目に朝原宣治が出していた10秒09という好タイムに刺激を受けるかもしれないと思ったが……。
無難に100mを走り終えた末續は、待っていた記者にも「終わった後で」と断りを入れ、足早にサブグラウンドへ向かった。
今シーズン、末續が初めて本気で走ったのは5月8日の大阪グランプリだった。モーリス・グリーンとの対決で注目される100mに先立って行われた4×100mリレーの第2走者としてである。
競技人生のなかで初体験の第1走者を務めた朝原宣治からバトンを受けた末續は、一気に加速し始めた。同じリレーの走りでも、昨年よりは心持ち頭を低くしたフォームのまま、バックストレートの中央付近まで“ググィッ”とスピードを上げる。
そこから“ニュー末續”がどんな爆発力を披露してくれるのか期待は高まった。
しかし、予想したほどの爆発的な伸びはない。不可思議な思いを心の中に残したまま、吉野達郎、大前祐介とバトンがつながるのを眺めていた。ゴールタイムは38秒35、日本チームがシドニー五輪で出した日本記録に、あと0秒04まで迫る好記録だった。
だがその時、末續には異変が起こっていた。
「バトンをもらって50mを過ぎた時点で、左脚がつりそうになったんです。練習中にもよくあることなんであまり気にするほどのものでもないけど、そこからスピードを緩めていったんです。試合で初めてスピードを出したから、正直、からだがビックリしたのではないかと思います」
リミッターを切ってしまうのではないか。そう考えた末續は、高野進コーチに100mを欠場したいと申し入れた。高野は末續の状態をこう説明する。
「朝原とのバトンパスがちょっと詰まってしまい、そこから“ガンッ”とスピードを上げましたからね。まだ真剣にスピード練習をさせていない状態なのに、気持ちがそれ以上に目を覚ましすぎてしまい、ケイレンにつながったんじゃないかと思いますね」
だが、たった50mの全力疾走ではあったが、末續は確かな手応えを感じていた。
「50mまではまだトップに入っていない状態だったけどいい走りができていたから。これでギアが変わったらどうなるんだろうか、なんて思いました」
その言葉を聞いて、末續が以前「今年は僕がどう変わっていくか、その変わりようを楽しみにしていてください」と話していたのを思い出した。
昨年末、冬期練習に入った頃から、末續は「重力と友達になる」という言葉をよく使うようになっていた。それとともに「ノソノソとスタートする」という言葉も。それが彼の今年の課題だった。
「ゆっくり走り出すという感じで、スタートでは絶対にエネルギーを使わないようにしたいんです。静止状態から走り出すわけですから、スタートというのは思った以上にエネルギーを使っているんですよね。
僕の場合はスタートが得意な選手じゃないし、別に速く出なくてもいいんですよ。ダッシュが重要というだけですね。そのダッシュにしても、そこで勝負するというのではなく、レースをするための重要なポイントというだけなんです」
自らの体のエネルギーをなるべく使わないでスタートするためには、位置エネルギーを有効に使わなくてはならない。「重力と友達になる」ということは、上から下に落ちていくエネルギーを、体を前に進める方向に利用するということだ。
そういう部分を課題とするようになったのは、末續が今年は100mを意識していることが大きい。昨年の世界陸上では200mで決勝に進出して銅メダルを獲得した。だがそれは末續と高野が思い描く“スプリンター・末續”の完成図のなかでは、ほんの一部分でしかない。200mの走りをある程度ものにしたら、次は100mを手の内に入れたい。ふたりにとって今100mを意識することは、スプリンターとして成長していく上で極めて自然なことなのだ。
3月18日、沖縄市での合宿中に行われたタイムトライアルで、末續は終盤を流しながらも100mを10秒43で走った。その1時間後には終始追い風となる好条件のなかではあるが、「50m以降は流していた」にもかかわらず、200mで20秒70という好タイムを出していた。
(以下、Number604号へ)