
かけがえのないものだからこそ、軽々しくは扱えない。イチローにとって、「51」はそれほど大切な数字だった。2012年7月、ヤンキースへ移籍した際、イチローは背番号を「31」に変えることを決断した。「51」が空き番号であっても、受け取ることはできなかった。
「51は特別な番号ですが、ヤンキースでは僕の方からお断りというか、とても付けることはできないと思いました」
ヤンキースの「51」といえば、1991年のメジャーデビュー以来、'06年に退団するまで主軸として活躍し、ファンから絶大な人気を集めたバーニー・ウィリアムスの代名詞だった。これが他の選手であれば、イチローの対応も違っていたかもしれない。ただ、ウィリアムスの「51」は、将来的な永久欠番の候補のひとつ。日本でプレーしていた当時から、イチロー自身もウィリアムスに憧れていたこともあり、新天地で背負うことを固辞し、「51」と決別する決意を固めた。
'92年、まだ登録名が「鈴木一朗」だったデビュー当時から、イチローは「51」を背負い続けてきた。その頃の日本球界で主力野手といえば、ひと桁の背番号がほとんどだった。だが、登録名を「イチロー」に変えた'94年、年間210安打の日本記録を打ち立て、瞬く間にスターダムを駆け上がった時、「51」という数字は、すでにイチロー固有の肩書きになっていた。
メジャーへ移籍した'01年、マリナーズは「51」を用意してイチローを迎えた。だが、イチローは、しばし躊躇した。直前まで付けていたのは、'89年から'98年までマリナーズに在籍した剛球左腕ランディ・ジョンソン。そんなスーパースターの背番号を、メジャーではまだ何の実績もない日本人の外野手が簡単に受け取っていいものか。シアトルのファンに認めてもらえるのか。実際、一部ファンの批判的な声や、地元マスコミの手厳しい論調も聞こえてきた。
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