#383

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「自分が革命児だなんて思ってない」イチロー22歳が語った「僕だけに与えられた」特権とヤクルトに“やられた夢”「野村監督が出てきて…」《MVPインタビュー/1996年》

2025/02/10
’95年度ナンバーMVP賞はイチローに贈られた。2年目のジンクスなどものともせず、走攻守すべての活躍で、震災の地・神戸にリーグ優勝をもたらす原動力となった。つねに魅せる野球を目指している多感な22歳が、その胸のうちを明かす──。(初出:Number383号 イチロー「僕は革命者だろうか?」 NumberPLUS「イチローのすべて」にも掲載)

「印鑑を押した時、また来年もプロ野球選手としてやっていけるなって、身の引き締まる思いがしました。契約をしてもらえなければ、プロ野球選手ではないのですから」

 オリックスのイチローが契約を更改したのは、チームがV旅行に旅立つ前日(’95年12月11日)。この日しか空いていないというタイミングであった。イチローは、オーストラリアへのV旅行後、本人の希望もあって、プロスポーツの本場アメリカに立ち寄り、帰国は年の瀬ギリギリという予定が組まれた。

 年明けも5日からのCM撮影などのために再渡米するという過密スケジュールのため、残されたこの1日に、来季気持ちよくプロ野球選手としてやっていけるかどうかがかかっていた。

 イチローの几帳面さは、私生活でもわかる。部屋の整頓から、翌日着ていく服まですべてキチンとたたんで用意をしておかないと気が済まない。その段取りが崩れたりした時には苛立ちを見せることもある。そういう性格のため、やるべきことは年内にキチンとやって終わりにして、新しい年には新たな気持ちで立ち向いたいという思いは、人一倍強いにちがいない。

 そんなこともあってか、イチローはあっさりと一発更改した。そして、出て来た言葉は「来年もプロ野球選手でいられる」という、意外なほど素朴な言葉だったのだ。

 プロとして契約をするかどうかの原点を忘れて、条件闘争ばかり口にする選手が多い中、イチローの放った言葉は、印象的だった。イチローがヒーローとして君臨できたのは、野球を素朴に、わかりやすく表現してくれたプレイヤーだったからこそ、ではないだろうか。

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photograph by Yorihito Yamauchi

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