乾いた音とともに鋭い当たりが飛んだ。2013年8月21日、ブルージェイズ戦1回1死。カウント1-1から、R・A・ディッキーが投じた外寄りナックルボールを漆黒のアオダモバットが捉える。三塁ブレット・ロウリーが横っ跳びしたが間に合わない。4000本目は球足の速いゴロでのレフト前ヒットだった。
それまで3999本。さまざまな球種を、多彩なスイングで全方向へ打ち分けてきたイチローは言った。
「レフトスタンドへのホームラン以外はどんなヒットも僕らしくなると思っていた」
打席前から立ったままだった観客のボルテージは一気に上昇する。突然重厚なBGMが流れ、中堅後方の大型スクリーンには「4000」の大文字が浮かぶ。一塁ベンチからチームメートが祝福に駆けつけ、試合はプレーボール早々から5分近くも中断した。
予想外の出来事にイチローの感情が揺さぶられた。
「ちょっとやめてほしいと思った。僕のためにゲームを止めて、僕だけのために時間をつくってくれるという行為なんかとても想像できるわけない。それもヤンキースタジアムで……。ただただ感動しました」
この日、ESPN、MLB・TVなど専門局が達成のテロップを流し、翌日のニューヨーク地元メディアは大きく紙面を割いてプロ4000本を称えた。日米通算の参考記録に異例の反応があったのは、その主役がイチローだったからに他ならない。
日本人初の野手としてメジャー入りしたのは12年前。以降、日本で放った1278本の倍以上をアメリカで記録した。その圧倒的なヒット量産ペースが広く野球の本場で認知され、本人も驚く祝福シーンにつながったのだ。イチローは「結局、4000という記録が特別なものをつくるのではなく、自分以外の人たちが特別な瞬間をつくってくれるのだと思った」と語ったが、数え切れない自分以外の人たちをつなぎ合わせたのは彼自身だった。
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