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「相撲界に残れなかったら“廃人”に…」貴景勝が語る“生きるか死ぬか”の土俵人生、そして未来への情熱「横綱になれなかったからこそ若い衆と」《引退インタビュー》

2025/01/23
2024年9月秋場所で引退を表明した貴景勝
大関在位30場所、幕内優勝は4度を数えた。押し相撲に命を懸け、土俵に夢を追ったが、横綱昇進の夢はついに果たせなかった。逆境の中で貫いた信念、突き押しの極意とは。(原題:[土俵人生を語る]貴景勝「突き押しで拓いた相撲道」)

「小学校3年生から相撲を始め、横綱になることだけを夢見て頑張ってきたんですけど、横綱を目指す体力と気力がなくなったので引退しました。横綱になることだけを考えてきて、手をいっぱい伸ばしたんですけど、届きませんでした」

 元大関貴景勝貴信が引退を発表したのは、2024年9月秋場所13日目のことだった。その目に涙はなく、堂々と前を向き、まるで武士のように潔い引退会見だった。

 174cmの小さな体で貫いた、突き押し相撲。約6年のあいだ、大関を張った。

 土俵を去った今、穏やかな表情で振り返る。

Kiichi Matsumoto
Kiichi Matsumoto

「7月の名古屋場所で関脇に落ちることが決まって、まだこの時は横綱を目指す気持ちはあったんです。引退はまったく考えていなくて、次の九月場所に懸けようと思っていた。でも、千秋楽の湘南乃海戦で、また首を悪くしちゃったんですよ」

 首が痺れ、熱く、ドンドンと波打つような痛みで眠れない夜が続く。次第に思考もネガティブになっていったという。

 相撲人生を懸けた九月場所。慣例として10勝を挙げれば、また大関に返り咲ける。しかし、初日の御嶽海戦で、左のおっつけに力がまったく入らなかった。

「それまで自分は廻しを取られない自信があったのに、すぐに差されてしまった。そこで悟ったんです。『もう横綱を目指す実力はないな』と。2日目の相手はかつての付け人で、埼玉栄高校の後輩でもある王鵬でしたが、『彼に力負けするようなら最後にしよう』と思いました。結果、左四つになられて寄り切られ、いい時の自分だったら考えられない相撲で負けてしまったんですよね」

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photograph by Kiichi Matsumoto

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