「(2022年の)箱根駅伝の結果を踏まえて、慰めてくれる先輩もいましたけれど、言葉だけじゃ自分の気持ちを払いきれないぐらいの罪悪感がずっとあって。チームと練習をしていても、このまま一緒に練習をしていてもいいのか、という風にずっと思うというか。自分は考え込みすぎるタイプでもあるんですけど、全然吹っ切れないというか…。シードを落としかけた原因でもあったので、(実家に)帰るという決断も自分ではできなくて」
数多く「取材」の現場に立ち会ってきたが、どうしても心が強張る瞬間がある。それは海外の超大物アスリートへの時間がギチギチに決められたインタビューだったり、チーム状況が悪い中での監督にどうしても話を聞かなければいけない時間だったり、シチュエーションは様々だ。
今回、東洋大の石田選手に「昨年、東洋大・陸上部を離れて実家で過ごした時期」について話を聞くた目に質問をした時も、聞き手として心が強張った。
なぜ陸上部を離れたのか。実家で両親をどんな時間を過ごしたのか。監督や仲間にはどう話をしたのか。東洋大に戻ってからどんな葛藤があったのか。
他のメディアの記事を読み、事前に知れた部分、理解できた部分もあったけれど、高校時代から石田洸介というランナーを取材していた身としてはその全貌を聞くのが「触れてはいけない部分」に土足で踏み躙ってしまいそうで少し怖かったのだ。
だが、石田はカメラを向き、聞き手である私たちの目を見て、真っ直ぐに答えてくれた。
「(陸上から離れて)すごい重荷が外れました予定もなく出かけても、思うがままに出かけるのもしたことがなかったんですけど、箱根以降に感じた(世界の)景色と全然違って明るく見えたというか。普通の働く人とか学生とか、輝いて見えたくらいです。自分の中でホッとする瞬間が増えて行って、このまま陸上から離れたいとも思うようになりました」
昨夏の心境を率直に語ってくれたこの発言から、どうやって陸上部に戻る決断をして、ここまで復活できたのか。動画のカメラに「東洋大は温かいチーム」と語ってくれた石田選手の言葉は、トップランナーとして走り続けることの難しさを改めて理解させてくれるとともに、取材者としてのこちらの心の強張りを解いてくれた。
動画ではほかにも、石田選手が以下のようなことを語っている。
⚫︎関東インカレ1万mで4年ぶりの自己ベスト。なぜ急激に復活できた?
⚫︎涙が出るほど感動した2024年箱根駅伝の同期3名の走り
⚫︎誰にも話せなかった箱根駅伝2区での絶望とは?
⚫︎実家で過ごした時間の世界の見え方、そして「ダイエット」
⚫︎お母さんが伝えてくれた「陸上をやめてもいい」の優しさ
⚫︎酒井監督との関係が崩れた時期を乗り越えて
⚫︎最後の箱根駅伝における「ささやかな目標」とは?
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