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【告白】「僕は主役じゃなくていい」大山悠輔はタイガース打線の“最後の砦”になる《保育園で七夕の短冊に書いた 「なりたい仕事」とは?》

もう6年前の記憶になる。
大山悠輔は「阪神4番」の重圧に押しつぶされかけていた。
「あの頃は毎日いっぱいいっぱいで、とにかく一日一日が無事に終わることばかりを考えていました」
まだ大卒3年目で絶対的主軸の域には達していなかった'19年春。時の矢野燿大新監督に将来性を買われ、24歳の若さで超人気球団の開幕4番に抜てきされた。
すでにプロ1、2年目に経験している打順ではあった。とはいえ、過去2年間はシーズン終盤の秋口に体験させてもらった形。桜の季節に本職として味わうプレッシャーは想像以上に強烈だった。
ただでさえ、打つか否かで天国と地獄を行き来する重責。
「それに僕の場合、自分で奪い取った4番でもなかったので……」
福留孝介から唐突に声をかけられ、言われたこと
心身ともに極限まで追い込まれていた前半戦序盤のある日、42歳のシーズンを迎えていた福留孝介から唐突に声をかけられた。
甲子園だったか敵地だったか。試合開始直前、ベンチ前で黙々とスイングを繰り返しているタイミングだった。
「そんな顔してたって仕方ないやん。前を向いて、もっといい顔でプレーせえよ」
驚いて振り向くと、のちに日米通算2450安打まで登り詰めるレジェンドは優しく目元を緩ませていた。
「自分では普通に見せているつもりでも、どこか元気がなかったり、自然と下を向いてしまっていたのだと思います。福留さんの言葉でハッとさせられました」
希代のスラッガーは当時、5番打者を任されていた。心配すんな、後ろに俺がいるから――。そう言わんばかりの圧倒的な包容力に助けてもらえなければ、新米4番は重たすぎる肩書との格闘にいずれ白旗をあげていた可能性もある。
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