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【阪神】「ZETTの看板を狙えっていつも言われてた(笑)」クレイグ・ブラゼルが語る2010年・47本塁打の思い出《藤川球児が果たしていない約束は?》
米国南部のアラバマ州オーバーン。日本人がほとんどいない街に一台の不思議な車がある。そのキャデラック・エスカレードのナンバープレートには「YAKYU」というローマ字が入っているのだ。
そのSUVの持ち主は割増料金を払ってまで、この5文字の組み合わせを選んだ。街の住人にとっては意味不明だが、持ち主にとっては思い出が詰まった言葉なのだ。
その持ち主は2009年から4シーズン阪神でプレーしたクレイグ・ブラゼル。1998年にドラフト5巡目でニューヨーク・メッツに指名されてから日米合わせて17年間のキャリアの中で、タテジマを着用した期間が最も印象に残っているという。
「一生忘れられない経験でした。阪神のチームメイト、監督、コーチは最高だったし、ファンも世界一でした。甲子園という歴史を肌で感じられる球場でプレーができたことも恵まれていたと思います」
三男ティップには「コウシエン」というミドルネームを付けたほどだ。
ブラゼル「最高の首脳陣がいたから打てた」
ブラゼルのもっとも輝かしい成績は、2010年に放った47本塁打だ。創設90周年を迎える球団史でも、個人のシーズン45本以上は6度目にして最後となっている。
メジャーではたった1本しか本塁打を打っていない。ところが、'08年に初来日して西武で27本、'09年の途中に阪神と契約して16本を打つと、'10年に突然、阪神の球団史に名前を刻むことになった。いったい何が変わったのだろうか。
「真弓(明信)監督、和田(豊)コーチ、片岡(篤史)コーチという最高の首脳陣がいたからです。甲子園球場は広くて、左バッターに不利な風がライトから吹いてくるので大変です。でも、首脳陣は『風を活かすんだ。お前ならセンターから左方向に打てるから』と言うんです。また、『横浜スタジアムや東京ドームでは、引っ張りたいならどうぞ』とも。そのおかげで、選手として成長できたと思います」
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