2014年2月10日、無敗のまま9連勝で日本スーパーフェザー級王座に輝いた内藤律樹。父のカシアス内藤、『一瞬の夏』作者の沢木耕太郎氏と / photograph by Kokou Sekine 2024年3月15日、オーストラリアでの2戦目。試合は終始、内藤律樹が攻勢を仕掛けた ©Kokou Sekine チャンスに畳み掛けて2戦連続のKO勝ち ©Kokou Sekine オーストラリア第2戦のポスター 試合前の控室ではいつも音楽を聞いて集中する ©Kokou Sekine 1972年、モハメド・アリと対面した父のカシアス内藤(複写) 2007年の神奈川県大会で。内藤律樹は当時高校1年生 ©Kokou Sekine 2009年、高校三冠を達成した内藤律樹。父カシアス内藤、観戦に訪れた沢木耕太郎氏と ©Kokou Sekine 2009年、まだあどけなさを残した高校1年生の井上尚弥。全国大会の決勝戦を前に、内藤律樹の発案で「気合を入れるため」に神奈川県のメンバーで現地の理髪店へ ©Kokou Sekine 2015年2月、日本王座3度目の防衛戦は後の世界チャンピオン伊藤雅雪に判定勝ち ©Kokou Sekine 2021年12月、東洋太平洋王座4度目の防衛に失敗。試合後の控室で鏡の中の自分と向き合う ©Kokou Sekine 2009年、まだあどけなさを残した高校1年生の井上尚弥。全国大会の決勝戦を前に、内藤律樹の発案で「気合を入れるため」に神奈川県のメンバーで現地の理髪店へ ©Kokou Sekine 2007年の神奈川県大会で。内藤律樹は当時高校1年生 ©Kokou Sekine 2007年の神奈川県大会決勝 ©Kokou Sekine 2008年、全国大会にて ©Kokou Sekine 2009年、磯子工業高校の教室で居眠りする内藤律樹 ©Kokou Sekine 2009年の全日本選手権。高校生ながら前年度の王者に勝利したものの、予選で惜敗 ©Kokou Sekine 2009年、高校三冠を達成した内藤律樹。父カシアス内藤、観戦に訪れた沢木耕太郎氏と ©Kokou Sekine 1972年、モハメド・アリと対面した父のカシアス内藤(複写) 湾港で働きながらボクシングを続けてきた(写真は2010年)©Kokou Sekine 2013年、祖父母が暮らす勝浦で走り込み合宿。砂浜を走る内藤律樹 ©Kokou Sekine 2014年2月、無敗のまま9連勝で日本スーパーフェザー級王座に輝いた内藤律樹。父のカシアス内藤、『一瞬の夏』作者の沢木耕太郎氏と ©Kokou Sekine 2015年2月、日本王座3度目の防衛戦は後の世界チャンピオン伊藤雅雪に判定勝ち ©Kokou Sekine 2016年、恒例の勝浦キャンプで走り込み ©Kokou Sekine 2016年7月、負傷判定で勝利。サウスポーのため目尻を切ることが多い ©Kokou Sekine 2018年1月、階級をふたつ上げて東洋太平洋スーパーライト級王座を獲得 ©Kokou Sekine 2019年10月、東洋太平洋タイトル3度目の防衛戦は韓国。『一瞬の夏』でクライマックスとして描かれた父カシアス内藤の対戦相手、朴鍾八氏が控室へ激励に訪れた ©Kokou Sekine かつてカシアス内藤と4度グローブを交えた韓国の英雄、柳済斗氏と再会。柳との再戦に向けて奔走した沢木耕太郎氏と ©Kokou Sekine 2021年12月、東洋太平洋王座4度目の防衛に失敗。試合後の控室で鏡の中の自分と向き合う ©Kokou Sekine マネージャーのブレンドンに借りた旧車で待ち合わせ場所に訪れた内藤律樹 ©Kokou Sekine クリーブランド州トゥーンバにあるTWG & Smithy’s Gym ©Kokou Sekine ジムの入口正面にはアップライトのピアノが置かれ、壁一面に過去の選手たちの写真や記事が張ってある ©Kokou Sekine ジムの入口近くにある内藤律樹が暮らす部屋 ©Kokou Sekine 2023年12月2日に行われたオーストラリア第1戦のポスター 2023年12月2日、2年ぶりの復帰戦は作戦通りの快勝だった ©Kokou Sekine オーストラリアでのデビュー戦を終え、試合後の控室で ©Kokou Sekine 気分転換に週末のロードワークで訪れる公園。高台にあり見晴らしがいい ©Kokou Sekine 2024年3月15日に行われたオーストラリア第2戦のポスター 試合前日の昼間に計量はパスしていたが、夕方に観客を入れたパブで公開計量が行われた ©Kokou Sekine 公開計量後にインタビューを受ける内藤律樹。英語も上達した ©Kokou Sekine 計量後はジムに戻り、スーパーで購入した納豆2パックと米飯を食べた ©Kokou Sekine 2024年3月15日のオーストラリア第2戦。シャツを着て、革靴で会場入り ©Kokou Sekine オーストラリア第2戦が行われたルーマス・インターナショナル ©Kokou Sekine トレーナーのコーベンにバンデージを巻いてもらう内藤律樹 ©Kokou Sekine 試合前の控室ではいつも音楽を聞いて集中する ©Kokou Sekine 映画『ラスト サムライ』のBGMで登場した袴姿の内藤律樹 ©Kokou Sekine 日本時代はアース・ウィンド・アンド・ファイアーの曲で入場し、アフロヘアーでリングに上がっていた ©Kokou Sekine 2024年3月15日、オーストラリアでの2戦目。試合は終始、内藤律樹が攻勢を仕掛けた ©Kokou Sekine チャンスに畳み掛けて2戦連続のKO勝ち ©Kokou Sekine 試合終了直後のリング、わずかに切れた目尻から血が滲んでいた ©Kokou Sekine オーストラリア第2戦後、マネージャーのブレンドンと。今後は大きなプロモーションへの参戦が期待される ©Kokou Sekine

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