鹿島アントラーズで18年にわたりプレーした本山雅志。2008年は腎臓の病気を抱えながらもリーグ戦32試合に出場し鹿島の連覇に貢献した / photograph by J.LEAGUE 1999年ワールドユースから帰国した鹿島アントラーズの同期4人。(左から)中田浩二、本山雅志、小笠原満男、曽ヶ端準 ©︎AFLO 2002年からは鹿島の10番を託された本山。ゴールを決めて鈴木隆行と喜ぶ ©︎JIJI PRESS 2007年の本山。プレースタイルをマイナーチェンジし、守備面での献身的なプレーも増えた ©︎AFLO 2009年もリーグ戦27試合に出場。鹿島の3連覇に貢献した ©︎AFLO 1999年ワールドユースで準優勝した黄金世代のメンバー。右から播戸竜二、本山雅志、小野伸二、高原直泰、稲本潤一 ©AFLO 1999年ワールドユース決勝に臨んだメンバー。前列右の10番が本山 ©︎AFLO 1998年アジアユース選手権で得点王に輝いた本山 ©︎AFLO 「雪の決勝」の中、ボールをもって仕掛ける東福岡の本山と取り囲む帝京の選手たち ©︎AFLO 1996年高校総体での清水商業・小野伸二。初めてそのプレーを見た本山が「衝撃的だった」と語る ©︎AFLO 1999年ワールドユースから帰国した鹿島アントラーズの同期4人。(左から)中田浩二、本山雅志、小笠原満男、曽ヶ端準 ©︎AFLO 2002年からは鹿島の10番を託された本山。ゴールを決めて鈴木隆行と喜ぶ ©︎JIJI PRESS 2007年の本山。プレースタイルをマイナーチェンジし、守備面での献身的なプレーも増えた ©︎AFLO 2009年もリーグ戦27試合に出場。鹿島の3連覇に貢献した ©︎AFLO 今年4月にカシマスタジアムで現役引退を発表した本山雅志 ©J.LEAGUE 2016年に加入したキラヴァンツ北九州ではリーグ戦36試合に出場した ©︎J.LEAGUE 今年4月にカシマスタジアムで引退を発表した本山。7月から鹿島アントラーズのアカデミーにスカウトに就任した ©︎J.LEAGUE 鹿島アントラーズで18年にわたりプレーした本山雅志。2008年は腎臓の病気を抱えながらもリーグ戦32試合に出場し鹿島の連覇に貢献した ©J.LEAGUE

1998年アジアユース選手権で得点王に輝いた本山 ©︎AFLO

この記事を読む

鹿島アントラーズで18年にわたりプレーした本山雅志。2008年は腎臓の病気を抱えながらもリーグ戦32試合に出場し鹿島の連覇に貢献した / photograph by J.LEAGUE 1999年ワールドユースから帰国した鹿島アントラーズの同期4人。(左から)中田浩二、本山雅志、小笠原満男、曽ヶ端準 ©︎AFLO 2002年からは鹿島の10番を託された本山。ゴールを決めて鈴木隆行と喜ぶ ©︎JIJI PRESS 2007年の本山。プレースタイルをマイナーチェンジし、守備面での献身的なプレーも増えた ©︎AFLO 2009年もリーグ戦27試合に出場。鹿島の3連覇に貢献した ©︎AFLO 1999年ワールドユースで準優勝した黄金世代のメンバー。右から播戸竜二、本山雅志、小野伸二、高原直泰、稲本潤一 ©AFLO 1999年ワールドユース決勝に臨んだメンバー。前列右の10番が本山 ©︎AFLO 1998年アジアユース選手権で得点王に輝いた本山 ©︎AFLO 「雪の決勝」の中、ボールをもって仕掛ける東福岡の本山と取り囲む帝京の選手たち ©︎AFLO 1996年高校総体での清水商業・小野伸二。初めてそのプレーを見た本山が「衝撃的だった」と語る ©︎AFLO 1999年ワールドユースから帰国した鹿島アントラーズの同期4人。(左から)中田浩二、本山雅志、小笠原満男、曽ヶ端準 ©︎AFLO 2002年からは鹿島の10番を託された本山。ゴールを決めて鈴木隆行と喜ぶ ©︎JIJI PRESS 2007年の本山。プレースタイルをマイナーチェンジし、守備面での献身的なプレーも増えた ©︎AFLO 2009年もリーグ戦27試合に出場。鹿島の3連覇に貢献した ©︎AFLO 今年4月にカシマスタジアムで現役引退を発表した本山雅志 ©J.LEAGUE 2016年に加入したキラヴァンツ北九州ではリーグ戦36試合に出場した ©︎J.LEAGUE 今年4月にカシマスタジアムで引退を発表した本山。7月から鹿島アントラーズのアカデミーにスカウトに就任した ©︎J.LEAGUE 鹿島アントラーズで18年にわたりプレーした本山雅志。2008年は腎臓の病気を抱えながらもリーグ戦32試合に出場し鹿島の連覇に貢献した ©J.LEAGUE

ページトップ