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「やかましい、ボケッ」「あの人は何やねん!」星野仙一21歳のヤジにキレた後、学ラン姿の本人に肩を叩かれケンカを覚悟したら…江本孟紀の記憶
posted2025/02/23 17:00

3球団をリーグ優勝に導いた星野仙一。明治大学時代から見せていた闘将ぶりとは
text by

江本孟紀Takenori Emoto
photograph by
Asami Enomoto

内角投げたらわかってんだろうな、コラ!
「おいピッチャー、内角投げたらわかってんだろうな、コラ!」
当時、大学3年生だった僕がマウンドに上がると、三塁コーチャーズボックスから言葉遣いの荒いヤジが飛んでくる。そのたびに、僕は口元でこうつぶやいていた。
「やかましい。いいかげんにせんか、ボケッ」
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僕は不愉快でたまらなかった。
僕の在籍していた法政大学と明治大学が神宮球場で試合をするときにはいつもこうだった。過激な言葉がピッチャーに突き刺さるように飛んできては、マウンド上でイライラしている者もいれば、その迫力に負けてしまってオドオドしている者もいる――。
そしてこうしたヤジを飛ばすのは、いつも決まって星野さんだった。
最上級生でキャプテンだった星野さんは、鬼のような形相で仁王立ち。威嚇行為と言われても仕方のない言動の数々。ときには審判をもにらみつけるありさまだった。
集中させい、ガタガタ言ってるんじゃねえ!
けれども僕にはうっとうしいだけだった。
「もっとバッターに集中させい。ガタガタ言ってるんじゃねえ!」
もちろんこのときは星野さんの人柄までは知らない。いや、僕だけでなく、法政大学野球部員のそのほとんどが星野さんのことをよく知らず、「三塁コーチャーズボックスから辛辣なヤジを飛ばすヤツ」という印象しか残っていなかった。
そしてこれは僕に限った話だが、明治には因縁を感じながら投げていた。
僕は高知商業から特待生として法大野球部に入学した直後の東京六大学春季リーグ戦から、いきなりベンチ入りとなった。メンバーの主力は当然4年生ばかりで、緊張しないわけがない。そんななか、僕のデビュー戦は突然やってきた。今でも忘れない、1966年4月25日の対明治3回戦である。
試合は明大の大量リードで、もはや勝負は決していたのだが、松永玲一監督から、
「江本、行けっ」
そう言われると、マウンドに上がった。