ツバメのさえずり日誌BACK NUMBER
《つば九郎担当スタッフ逝去》さらば“戦友”…最も知る仕掛け人の秘話「つば九郎なら巨人に勝てる」「フリップ芸はドアラのイベントの暴走から」
posted2025/02/23 11:03

つば九郎の「仕掛け人」としてファンにも知られていた加藤謙次郎氏。数々の秘話を明かしてくれた
text by

佐藤春佳Haruka Sato
photograph by
Kenjiro Kato
お互い、その存在を「戦友」と表現してきた。二人三脚……いや、一人と一羽の固い絆で、プロ野球界の“顔”となるまでのスターダムを駆け上がった。
加藤謙次郎さん。2007年から13年まで、東京ヤクルトスワローズの広報を務めた。球団マスコットのつば九郎のプロモーションを担当し、今や名物となったスケッチブックを使っての「フリップ芸」や、オフシーズンの「契約更改」などを企画したいわば“仕掛け人”だ。
浮かんでくるのは面白い思い出ばかり
「突然のことでびっくりしましたし、本当に残念です。でも、何て言ったらいいんだろう……その記憶を辿ると、すごく面白いことがいっぱい蘇ってくるんです。浮かんでくるのは、つい笑顔になってしまうような思い出ばかりです」
ADVERTISEMENT
2月19日、ヤクルトはつば九郎を支えてきた社員スタッフが亡くなったことを、球団公式サイトで発表した。1994年のデビュー以来、ファンに愛されてきた人気者。軽妙洒脱で時に毒舌、それでも決して憎めない唯一無二のキャラクターを作り上げてきたのは、まさにこの社員スタッフAさんの尽力だった。
現在は球団を離れ、株式会社「Sports Marketing Asia Pacific」で代表取締役社長を務める加藤さんは、たまたま訪れていた浅草でその訃報を聞いた。ショックと悲しみで感情がいり乱れるなかで足を向けたのは、10年ほど前に一緒に行った浅草六区のくじら料理店。その時、Aさんがこっそりと壁に書き残していた「つば九郎」としてのサインを見つけ出して、しばし思い出に浸った。
「一緒に飲んでいても、シリアスな話なんてほとんど聞いたことはないんですよ。どんなに大変なことがあっても、本当にくだらないこととかを言って軽妙なトークで『まあしょうがないよね』って……」
巨人へのライバル心から
07年に東急電鉄の広報からプロ野球に転身した加藤さんとつば九郎がタッグを組んだのは、巨人へのライバル心がきっかけだったという。同年のオフに、チームの主砲であるアレックス・ラミレスと、エースのセス・グライシンガーが同じ東京を本拠地とする巨人に移籍。選手兼任監督として注目を集めてきた古田敦也監督も退任し、広報としてチームをどうやってプロモーションするべきか頭を悩ませていた。