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「巨人・ガルベスvs中日・山崎武司」最悪の大乱闘…止めたのは42歳落合博満だった「中日のピッチャーに同情したんだよ、オレは」29年前の真相
posted2025/02/09 11:01

1996年5月1日、中日対巨人。ガルベス投手の危険球で中日・山崎武司と大乱闘。真ん中が落合博満(当時42歳)
text by

中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph by
Sankei Shimbun
あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? 当時を徹底検証する書籍「巨人軍vs.落合博満」が発売され、3刷重版と売れている。
その書籍のなかから、「落合博満vs松井秀喜」を紹介する。とうとう4番を取り返した42歳落合。しかしその“4番復帰”初戦で大乱闘に巻き込まれる。【全2回の後編/前編も公開中】
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「並の打者ならチャンスには何でも食らいついてくるところがあって、それを逆手に取ることもできるんだけど、落合さんはまずボール球には手を出してくれない。要求は際どいコースでも、それが甘くなって打たれるか、見られてカウントを悪くして甘くなったところをイカれるか。打たれているのは、ほとんど内角甘めの直球なんですけどね」(週刊ベースボール1996年6月17日号)
中日ドラゴンズの正捕手・中村武志にとって、元同僚の落合は天敵だった。1994年の同率優勝決定戦“10・8決戦”では、先制アーチと勝ち越しタイムリーを打たれている。7年間、味方として背番号6の技術や勝負強さを間近で嫌というほど見てきた。投手陣に意識するなと言っても無理な話だった。
「ガルベスvs山崎武司」最悪の大乱闘
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1996年5月1日のナゴヤ球場、5回表に中日先発の小島弘務が、この日から四番に復帰した落合の背中にぶつけてしまう。グラウンド上には不穏な空気が流れ、巨人ベンチの“ケンカ四郎”こと武上打撃コーチは「狙っているのが見え見えだ」と死球に怒りの声を上げたが、この年から、闘将・星野仙一が監督復帰していた中日側も一歩も引かない。直後の5回裏、巨人の先発ガルベスが、先頭の山崎武司への初球で頭部付近に141キロのスピードボールを投げ込む。尻もちをつきながら間一髪でかわした山崎は立ち上がるなり、マウンドに詰め寄った。次の瞬間、自ら左手のグラブを外し臨戦態勢のガルベスと殴り合いに。両軍入り乱れての大乱闘となり、一塁から真っ先に駆け付けた落合は山崎を後ろから羽交い締めのように抱え込む。
「俺が中日に入った頃は、ベンチが指示を出したのに相手にぶつけなかったピッチャーがファームに落とされるケースもあったんだから。だから、5回表に俺が小島(弘務)から腰にぶつけられた時も、ベンチの方針に従わざるを得ないピッチャーもかわいそうだなと思ったから、怒らなかった。中日のピッチャーに同情したんだよ、俺は。あの時、俺が怒らなかったのを見て、『落合は中日相手だとおとなしい』というようなことを書く新聞があったけど、そうじゃないんだよ。まあ、でも、年がいもなくよくあんなふうに突っ込んでいっちゃったなあ(笑)」(不敗人生43歳からの挑戦/落合博満・鈴木洋史/小学館)