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ぶら野球BACK NUMBER
「巨人・ガルベスvs中日・山崎武司」最悪の大乱闘…止めたのは42歳落合博満だった「中日のピッチャーに同情したんだよ、オレは」29年前の真相
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中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph bySankei Shimbun
posted2025/02/09 11:01
1996年5月1日、中日対巨人。ガルベス投手の危険球で中日・山崎武司と大乱闘。真ん中が落合博満(当時42歳)
この乱闘騒動で山崎とガルベスには退場処分が下されたが、長嶋監督は三塁側ロッカーに立てこもり、「暴力をしかけたのが山崎なのに、なぜガルベスも退場なんだ。あれが危険球ならば、落合への死球はどうなるんだ」と審判団へ21分間にも及ぶ猛抗議。32分間にわたりゲームは中断する。この際、落合は左腕を巨漢の山崎の首に巻きつけるように強引に止めに入ったため、左肩の筋を違えてしまったという。
21歳松井秀喜「落合さんはすごいです」
しばらく打撃も不調に陥るが、平成7年度高額納税者番付のプロスポーツ部門で2年連続トップになった5月16日、横浜戦で1点を追う9回一死、四番落合は大魔神・佐々木主浩の147キロの速球を横浜スタジアムの左中間スタンドへ貴重な同点6号ソロアーチを叩き込む。
「落合さんはすごいです。あの一発には、鳥肌が立ちましたよ。僕の四番返り咲きが遠のくのが残念? そんなことが問題じゃないんです。ああいう場面で打てるというのは、それだけで大変なことなんですから」(週刊ベースボール1996年6月17日号)
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松井は自分が二ゴロに倒れた直後の一撃に、ベンチで打球の行方を追いながら思わずバンザイ。なぜ42歳にして、球界屈指のクローザーが投じた渾身の直球を力でねじ伏せるようなホームランを打つことができたのか? 引退後に落合は自著の中で、その攻略法を明かしている。
「横浜の大魔神といわれている佐々木主浩もストレートとフォークボールしか持たない投手である。私は、やはり彼のストレートだけを待っていたから対戦成績もいい。だから、セ・リーグの選手たちが彼のフォークに手を出して次々に打ち取られる場面を見ていると、不思議な気がする。伝家の宝刀であるフォークがいつ来るかわからないから打てないというが、なぜフォークを追いかけるのか。ストレートだけを待っていれば高い確率で攻略できるのである。どうせ打てないと思うなら、ストレートだけを待つ勇気を持てばいい」(野球人/落合博満/ベースボール・マガジン社)
長嶋監督「松井? 比べものになりません」
プロ18年目、今なお落合は巨人の大黒柱だった。5月18日のヤクルト戦でブロスから3試合連続の8号2ランを放ち、史上11人目の通算4000塁打を達成。「長くやってりゃいつかはできるさ。でも、オレにはまだまだ先があるから」と貫禄のオレ流節だ。


