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「ずっと立っとけ!」中日“あの伝説的エース”に星野仙一が激怒した日…震えた“落合博満の監督就任”「ボク、落合さんを骨折させてるんです」

posted2025/01/30 11:02

 
「ずっと立っとけ!」中日“あの伝説的エース”に星野仙一が激怒した日…震えた“落合博満の監督就任”「ボク、落合さんを骨折させてるんです」<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

中日監督・星野仙一のもとで1億円プレーヤーになった野口茂樹

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岡野誠

岡野誠Makoto Okano

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Sankei Shimbun

野口茂樹(50歳)はかつて星野仙一、落合博満、原辰徳などの元で戦い、セ・リーグMVPにも輝いた。現在、愛知県西尾市の『カミヤ電機』で営業マンとして働いている。中日で一時代を築き、その言動から“宇宙人”とも評された左腕が、名将たちとのエピソードを明かした。※敬称略、記録などは当時

◆◆◆

「1日6時間くらい車で移動する日もあるんですよ。運転中は音楽や、最近はNISAに関する情報を聞いています。ボーッとしてたら退屈なんで(笑)」

 勤続30年のサラリーマンのような雰囲気を醸し出す、この男。1990年代後半から2000年代初頭にかけて、中日のエースとして活躍した野口茂樹である。

星野仙一と対面「ローストビーフ店で…」

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 野口は愛媛出身。荒れ球を武器に“四国のドクターK”と呼ばれ、地元・丹原高から92年秋のドラフト3位で中日ドラゴンズに入団する。同じ年のドラフトには、甲子園で5打席連続敬遠された松井秀喜などがいた。

「中日には怖いイメージがありました。僕の入団した時は高木守道監督だったんですけど、『珍プレー好プレー』で星野さんの乱闘や扇風機を殴るシーンを見てましたからね(笑)」

 2年目の春、野口は大石友好バッテリーコーチらとアメリカの1Aに野球留学する。NHKの解説者をしていた星野仙一がメジャー視察の帰り際に立ち寄った試合で、野口は3対0の完封勝利を収める。初対面の星野は、極上のローストビーフ店に彼らを連れて行った。

「試合後に会うと大石さんから聞いていたので、『打たれたらやばいな』と気合を入れました。別に怒られることは何もしてないので、楽しく食事をさせてもらいました。普段は優しいですし、『お前はそのままでいいからな』と背中を押してくれました」

 2年後の96年、星野が監督に復帰。就任会見では「しっかりやろうぜ」というメッセージで選手を震え上がらせた。野口は闘将の再登板をどう感じたのか。

「ついに、その日が来たかと」

星野が激怒「ずっと立っとけ!」

 星野監督は、高卒4年目の野口をオープン戦の開幕投手に指名。だが、雨で流れてスライド登板になった日本ハム戦は3回4四球4失点。指揮官は〈評論以前の問題。四球が多すぎる〉と突き放した一方で、〈チャンス? まだあるだろう。見捨てるなよ〉(※1)と期待も掛けた。だが、野口は3月2日の日本ハム戦でも3回4四球7失点と不甲斐ない投球をしてしまう。

【次ページ】 「100万円を…」“伝説のノーノー”裏側

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