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箱根駅伝“3代目山の神”青学大・神野大地のいま…“プロ転向”は失敗だった?「もうダメかもな、と何度も」本人が明かす胸の内「それでも心の奥に…」
posted2025/01/08 17:00
text by
泉秀一Hidekazu Izumi
photograph by
Nanae Suzuki
年始に行われた101回目の箱根駅伝は、青学大の8度目となる総合優勝で幕を閉じた。すっかり常勝軍団となった同校だが、その初優勝は3代目「山の神」としてスターになった神野大地の存在なくして語れない。卒業後は実業団を約2年で退社しプロランナーに転向するも、目標に掲げたマラソンでの五輪出場は叶わず、未だ目立った記録は残せていない。プロ転向を「失敗」と見る向きもあるが、本人に後悔の様子はなく、新たな挑戦に向かおうとしている。《NumberWebインタビュー全3回の1回目/つづきを読む》
東京は丸の内の一等地にそびえ立つJPタワー。地上38階、200mの高さを誇るオフィスビルが、現在の神野大地への取材場所だった。
訪問した企業の名は、M&Aベストパートナーズ(MABP)。企業の合併や買収(M&A)の仲介を担う会社だ。グレーのカーペットにブラックの高級そうな椅子。巨額を動かすビジネスとあって、オフィス各所には高級感が漂っていた。
神野は2023年末から、このMABP陸上部の監督兼任選手として、同部のニューイヤー駅伝出場を目標に活動している。
あの青学大「山の神」の現在は?
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さかのぼること6年半。神野は所属していたコニカミノルタを退社してプロランナーになった。しかし、青山学院大学時代に「山の神」として知られたほどのインパクトは残せなかった。
主戦場にしたマラソンのタイムも伸び悩み、最高記録は2時間9分34秒。記録だけを並べれば、もっと速い選手は山ほどいる。
だが、結果をもって神野の挑戦を「失敗だった」と結論づけられるほど、人生は単純な物語ではない。
本人や関係者への取材で6年半の歩みを振り返りながら、神野の現在に迫る。