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「神野は終わった」と言われても…箱根駅伝“3代目山の神”に新チームが“選手兼監督”オファーを出したワケ「もっと好記録の選手はいる。でも…」
text by
泉秀一Hidekazu Izumi
photograph byAFLO
posted2025/01/08 17:01
2023年大会(写真)をはじめ、2度のMGCではいずれも苦戦した神野大地。青学大時代「3代目・山の神」と呼ばれた男は、苦難のプロランナー生活をどう振り返るのだろう
“プロランナー・神野大地”が伝えたこと
迎えたパリ五輪の選考会、神野は完走した56人のランナーの最後でゴールした。2時間25分34秒──。それまで走ったすべてのマラソンで最も遅い記録だった。
目標には届かなかったが、レース後の神野は達成感に包まれていた。応援してくれた人たちを前に、涙ぐみながらこんな言葉を残した。
「逃げ出したくなるくらい苦しかったんですけど、最後まで諦めたくない気持ちを持って、今できるベストを尽くそうという気持ちで走りました。ゴールした時、諦めなくて良かったなと思いましたし、すごい悔しい気持ちも込み上げてきて、また頑張りたいなという気持ちにもなってるんで、次の目標を見つけて、自分なりに精一杯努力していきたいと思います」(神野)
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プロの成否を「結果」に据えるのであれば、神野は敗者だろう。
しかし、必ずしも勝者だけが人生を切り開けるわけではない。挑み続け、逃げずにやり通した者にだけ、新たな道が準備されることがある。
実際に、神野のもとには次のチャンスが舞い込んだ。M&Aベストパートナーズ(MABP)から打診を受け、神野が監督兼選手、高木がゼネラルマネジャーとして陸上部を立ち上げることになった。
MABP共同創業者の松尾直樹は、神野に監督就任を打診した理由をこう話す。
「なぜ神野くんだったのか、ですか? 確かに、もっと好記録を持っている選手はいます。でも、壁に跳ね返されてもプロとして果敢に挑戦してきた神野くんのプロセスに共感させられた。彼の姿を見ていると、記録ではなく神野くんの生き様こそが、ファンを感動させる良いチームを作るんじゃないかと思ったんです」
もし神野がプロランナーになっていなければ、全く違う人生を歩んでいただろう。びわ湖毎日マラソンの後に逃げていたら、今の立場はなかっただろう。
箱根のスター、実業団、そしてプロとしての苦悩――。ランナーとして酸いも甘いも経験した神野は、MABPの陸上部でどんな実業団チームを作ろうとしているのだろうか?
<次回へつづく>