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「突然クーデターが起きて」ミャンマーの戦争で悲痛の声も…元ミャンマー代表の亡命GKも参加したフットサル大会「いま戦わないと未来はない」
text by
熊崎敬Takashi Kumazaki
photograph byTakashi Kumzaki
posted2025/01/09 11:00
ミャンマーの少数民族では最大規模の人口を誇る、カレン族の人々も多数参加。故郷カレン州では激しい戦争が続いている
ミャンマーでは、21年2月1日にクーデターが発生。前年の総選挙の結果を無効として国軍が全権を掌握すると、市民による抵抗運動が広がり、内戦状態に突入する。国軍の弾圧や攻撃による死者は5100人を超え、戦火はいまもやむ気配はない。
日本には11万人ほどのミャンマー人が暮らしているが、多くの人たちがクーデター直後からデモや募金を通じて国軍への抵抗を続けてきた。
実はサッカー大会も民主化運動の一環であり、チャリティが行なわれるのは三郷大会が初めてではない。「もともとミャンマー人は各地でサッカー大会をやっていましたが、クーデター後、祖国を支援するためにチャリティ大会を行なうようになりました。みんな国を思う気持ちが強いので、参加チームは大幅に増えています。関東では1、2カ月に一度開催していますが、名古屋や大阪でも仲間たちが大会を行なっています」と、こちらもスタッフが教えてくれた。
カチン族、カレン族の声
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ギャラリーも含めて総勢800人近いミャンマー人が集結したフットサル大会には、さまざまな背景を持つ人たちがいた。彼らの声を聞いてほしい。
「ぼくは今日、ボランティアで大会を手伝いに来ました。来日したのは20歳のとき。技能実習生として来日して、もう8年が経ちます。クーデターのおかげで祖国に帰ることができなくて、亡くなった母に別れを告げられなかったのが心残りです」(カチン族の男性28歳)
「ぼくは21年に帰国するつもりでいましたが、突然クーデターが起きて帰れなくなってしまいました。ミャンマー南部カレン州出身のぼくには、アメリカで暮らす父と母がいますが、兄はまだカレン州にいて、彼の村は国軍の空爆によって破壊されてしまいました。実はもうすぐ故郷に帰ろうと思っています。(ミャンマー最大の都市)ヤンゴンからカレン州に向かうのは難しいので、タイ国境から山岳地帯を歩いてカレンに入るつもりです。国境地帯も国軍のドローンが飛んでいるので気をつけないといけないですが、それでも故郷に帰りたい」(カレン族の男性)
元ミャンマー代表GKも参加
フットサル大会には20代から30代の若い世代が目立つが、日本滞在が30年を越える年配の姿もあった。1988年に始まった『8888民主化運動』に身を投じたことで命を狙われ、日本に逃れたハンセインさんだ。彼は通訳としてコミュニティの人たちをサポートしながら、2000年にミャンマー・フットボールクラブ(MFC)を設立。このチームから、同胞たちの大会を支える在日ミャンマー人サッカー協会が生まれた。