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「もうやってらんねぇよ!」徳本一善ら後輩の突き上げに…24年前の箱根駅伝 伝説の“三つ巴の5区”のウラにあった法大主将の「ブチ切れ秘話」
text by
山崎ダイDai Yamazaki
photograph by(L)フォート・キシモト、(R)NumberWeb
posted2025/01/06 11:01
2001年の箱根路で5区を走った法大の4年生・大村一。シーズン当初は駅伝チームの主将を務めていたが、夏前に「ある事件」が起きる
走ることが嫌になったわけではない。
だが、「チームを率いる」というタスクには心底、嫌気がさしてしまっていた。そうして大村はチームから去る気満々で、地元・長野で行われる2週間の教育実習に出かけて行った。
「『そんなに熱くなるなよ』と言って宥めてくれる同期もいたんですが、当時は全然、響かなくて。もう絶対に辞めてやると思って東京を離れたんです」
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とはいえ、現実問題としては実習が終われば大学の講義もある以上、帰京しなければならない。寮住まいで他に家があるわけでもない大村は、結果的に寮に戻らざるを得なくなる。
「走るの自体は変わらず好きでしたし、寮では暮らさざるを得ない。そんなわけで、同じグラウンドでジョグもしているんだけど、隣にいるチームの練習には交ざらないという不思議な状態になっていました(笑)」
正式に退部届を出したわけではない。同じ寮にも住んでいる。練習参加はしないまでも、ジョグをしている姿は周りの目にも入る。そんなおかしな状態が数カ月続いたという。
合宿中にコーチから「中途半端なのは良くないよ」
そして、夏。いよいよ箱根の予選会に向けた勝負の夏合宿の季節にさしかかった。宙ぶらりんの状態だったとはいえ、未だ部に在籍している以上、大村ももちろん合宿にも連れていかれる。
「ただ、やっぱりみんなモヤモヤしますよね。『あいつ辞めるって言ったのに』『なんでそんなやつがいるんだ』と。最初はBチームだったんですが、終盤の合宿ではAチームに合流することになって。結局、そのタイミングでコーチから『さすがに中途半端なのは良くないよ』と言われて」
大村自身も数カ月でだいぶ気持ちがクールダウンされていた。
心の中を見つめ直して分かったのは、自分は走るのが好きだということ。大学生活で最大の目標にしてきた箱根でも、2年間抜かれっぱなしだった。今年こそは誰にも抜かれない走りがしたい――。そして、その舞台に立つには、仲間が必要なことも分かっていた。
「本当に申し訳なかった。これから、これまでの分まで頑張るから」
そう仲間に頭を下げ、大村はチームへと戻ることを決めた。