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野球のぼせもんBACK NUMBER
ソフトバンク史上最高のドラフトで“まさかの指名”「千賀滉大や甲斐拓也は質問攻めしていた」育成2位の男が語る“出世組との差”「三軍生活が悔しくて…」
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph byJIJI PRESS
posted2024/12/30 11:03
「当然まだ一軍で活躍する前なので、僕らと同じ“ルーキー”なのですが、大卒はこんなにも違うのかとショックを受けました。今考えれば、あの人が凄すぎたんですけど」
ナゾの教えに従った…「反抗していい」
とはいえ新人のこの手の話は、プロでは通過儀礼のようなもの。必死にやるしかない。プロ1年目は、チームに新設されたばかりの三軍で2桁本塁打を放ちパワーヒッターの片りんは見せていた。
だが、2年目以降はその持ち味が消えてしまった。当時の三軍打撃コーチがどういうわけか選手全員にバットを短く持たせてコンパクトに振ることを命じたのだ。スラッガー候補にも例外なし。中原は当然、打撃を崩した。己を見失った。だけど、従うしかない。そんな雰囲気だった。
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「これは守備担当のコーチに言われたんですけど、『何でもかんでも鵜呑みにしすぎ』『たまにはコーチに反抗してもいいんだよ』『プロ向きの性格じゃないんだよな』と」
同じ3桁背番号でスタートした同期の中で、最初に“出世”を果たしたのは千賀だった。プロ2年目の4月に支配下登録され、すぐに一軍でデビューした。続いて牧原がその年の6月に支配下へ。甲斐は3年目のシーズンオフに支配下登録を勝ちとっていった。
千賀、甲斐の出世に嫉妬「悔しくて…」
最初の頃は三軍の同じグラウンドで一緒に泥にまみれ、長時間のバス遠征をこなし、チームの雑用もやっていたのが、1人、また1人と上のステージへ駆け上がっていく。たまに顔を合わせるのは球場ではなく、球団寮の廊下くらいだった。ナイターの多い一軍と、デーゲームや練習ばかりの三軍では食事や風呂の時間が違う。夜型の生活をする同期生が羨ましくもあり、妬ましくもあった。
「同期入団はもともと支配下5人、育成は僕を入れて6人の計11人。それぞれの立場の違いというより、みんな個性が強かったからそれぞれが独特の世界を持っていて、あんまりまとまりはなかったかな(笑)。ただ、顔を合わせればもちろん会話はしていましたよ。『お疲れ。一軍はどう?』とか。(甲斐)拓也は大分の実家から車を持ってきていたので、買い物に行くときにはよく連れて行ってもらいました。だけどあの頃は正直、一軍の試合は見られなかった。悔しくて。三軍の監督やコーチから勉強のために見ろと言われない限り、自らすすんで見ることはしなくなっていました」