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大谷翔平につぐ“ドラフト2位”だった強打者は今「野球道具も全て友達にあげて…ニートでした」引退後に変化した“同期・大谷”への思い―2024下半期読まれた記事 

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佐藤春佳

佐藤春佳Haruka Sato

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photograph byKYODO

posted2024/12/21 11:01

大谷翔平につぐ“ドラフト2位”だった強打者は今「野球道具も全て友達にあげて…ニートでした」引退後に変化した“同期・大谷”への思い―2024下半期読まれた記事<Number Web> photograph by KYODO

2012年のドラフトで日本ハムから大谷翔平に次ぐ2位指名を受け喜ぶ森本龍弥さん

森本が戦力外通告を受けた日

 19年から球団初の育成選手となった森本さんは二軍戦でがむしゃらにアピールを続けていた。9月7日、鎌ケ谷で行われたイースタン・リーグ西武戦では2回に3号2ラン。試合は延長戦となり、もつれ込んだ11回裏、谷内亮太(現一軍コーチ)のサヨナラ2ランで決着した。ホームベースを中心に歓喜の輪ができる。ベンチから飛び出した森本さんに、悲劇が待っていた。

「嬉しすぎて飛び跳ねて行ったんです。そうしたらバッターボックスのくぼみにポーンッてはまってコケてもうた。立ち上がろうとしたら歩けないくらいひどい捻挫でした。ほんましょうもないケガですよ。それまでも故障が多くてボロボロだったんですけど、最後に野球ができないくらいのケガをしてしまった」

 編成担当からの着信も“3年連続”となればもう、戦力外通告を悟っていた。地元の関西で行われたトライアウトには、家族や友人を呼び、痛む足を引きずりながら参加した。オファーを待つというよりは、野球に区切りをつけるためのいわば“引退試合”だった。

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「プロに入って死ぬ気でやってきましたけど、ちょっと最後はもう無理かなという感じでした。やっぱりしんどかったです。後悔? うーん、翔平にサインをもらえんかったこと(笑)。いや、真面目な話は、怪我が多かったのでもう少し自分の体のケアも考えながら野球をやればよかったなとは思います」

「野球道具も全て友達にあげて…ニートでした」

 社会人野球などから話はあったが断り、完全に野球から離れることを決意した。小学1年生から熱中してきた野球のない毎日。解放感に浸ったのは最初だけだった。ちょうどこの時期にコロナ禍に突入したこともあり、次第に気持ちが落ち込みだした。

「毎日飲んだり、旅行に行ったり。まさにニートでした。収入もないのにお金ばっかり出ていく。流石にヤバいなと思っても、体が重くて何もしたくなかった。野球道具も全て友達にあげてしまって、プロ野球のニュースすら目にするのが嫌でした。心に穴が空いたみたいで、全てに投げやりになっていましたね。今思えば燃え尽き症候群のような感じだったかもしれません」

 19年秋に現役引退してからほぼ1年間、何もしない毎日が続いた。鬱々とする森本さんの姿を見るに見かねて、叱咤したのは恋人だった。関西出身の同い年で、現役時代の18年から遠距離恋愛で絆を育んでいた。

「働かん人はほんまに嫌。働かないなら別れる!」

 意を決したその言葉に、森本さんは背中を強く押された。彼女がインターネットで調べた求人のリストを作り「面接を受けてみたら」と勧めてくれた。

「彼女からは結婚もしたいけど、そろそろ限界や、というようなことを言われて。僕が勢いでプロポーズしたら『ちゃんと働くなら』と。今思えば本当にありがたいですよね。彼女がいなければ未だにニートで、その辺で腐っていたかもしれません。本当に感謝です」

【次ページ】 「営業先で『大谷翔平の同期です』って」

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