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「ひとりでは無理だと思います」4大会連続五輪出場なし…低迷中の女子ロングスプリント界“最古の日本記録保持者”が語る「世界への壁を崩すには」
posted2024/11/07 11:02
text by
和田悟志Satoshi Wada
photograph by
(L)Hideki Sugiyama、(R)BUNGEISHUNJU
「女子400mで史上初の51秒台」「世界大会で史上初の準決勝進出」「44年ぶりのオリンピック出場」――千葉麻美(旧姓・丹野)は数々の快挙を成し遂げ、日本の女子ロングスプリントの歴史を切り開いてきた。
「女子短距離も世界で戦える」その証明のために
しかしながら、どれだけ快挙を重ねようと、千葉は現状に甘んじることなく、その先を見据えていた。それには、こんな思いがあったからだ。
「ただただ負けず嫌いなので、『日本の女子の短距離は世界で勝負できない』と言われ続けてきたことが本当に悔しかったです。男子は当時からリレーでメダルを狙えるところにいたので、なおさら女子との比較をされました。『いつかは女子も……』という思いがありました」
「日本の女子短距離は弱い」――そんなレッテルを跳ね除けるために努力を重ねた。
千葉をはじめOGを含む福島大勢が日本女子ロングスプリントを牽引していた当時、女子100m、200mのショートスプリントを席巻していたのが2006年に設立された北海道ハイテクACだった。
100m、200mの日本記録保持者の福島千里や100mハードルの寺田明日香、世界選手権大阪大会代表の北風沙織といった選手が所属していた強豪チームだ。種目は違えど、福島大勢とはお互いに刺激し合う存在だったという。
「福島大と北海道ハイテクACさんとの繋がりはけっこうあって、短距離の合宿に行くと、福島さんの練習に混ぜてもらうこともありました。逆に、福島さんが私たちの練習に来て一緒に300m走をやったり、ウエイトなどのフィジカルトレーニングの情報を交換したりもしました。本当に仲が良かったです。種目は違いますが、『女子の短距離をどうにかしたい』という思いは同じでした」
オリンピックや世界選手権に行くと福島と同部屋になることが多かった。女子短距離の個人種目で世界大会に出られるのが千葉と福島ぐらいしかいなかったという事情もあったが、福島のモチベーションの高さに大きな刺激を受けたという。