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スポーツ名言セレクションBACK NUMBER
「ゴキッって音が」脱臼で“鋼の肉体”を…千代の富士が力士人生の危機から“伝説の横綱”になるまで「肩に負担のかからない相撲を目指さなきゃ」
posted2024/10/30 17:45
text by
NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph by
David Madison/Getty Images
昭和の大横綱が苦しんだ脱臼グセ
<名言1>
器用だから。昔だったら忍者になれたよ。箱抜けとかなんとかいうやつ(笑)。
(千代の富士貢/Number23号 1981年3月5日発売)
◇解説◇
ここ数日、大谷翔平関連のニュースで目にする「脱臼」の二文字。そのケガに苦しんだアスリートの代表格は、相撲の千代の富士である。
通算1045勝に幕内807勝、さらには横綱として59場所在位……「昭和の大横綱」としてヒーローとなった千代の富士が、土俵上の相手と同時に戦ったのは自らが抱える両肩の爆弾だった。
ダイナミックな投げ技が真骨頂だった一方で、一般の人よりも肩の骨がかみ合う部分が浅かったという。それに加えて100キロ以上ある相手を強引に投げるゆえに、負荷は非常に高まった。
73、74年の2年間には計3回も左肩を
最初に左肩が悲鳴をあげたのは1973年春場所のことだった。
雑誌「Number」は創刊から1年後の1981年、千代の富士に初となるインタビューを敢行した。そこで千代の富士は生々しいケガの記憶をこう語っている。
「(脱臼については)大阪の本場所でした。ゴキッて音がした。突き指して指引っぱるとコキッと鳴るでしょう。これの鈍い大きな音ですね」
なおこの年には稽古を含めて計3度、さらには74年の九州場所にも取組中に土俵から転落してまたも脱臼……と、完全に癖になってしまっていたのだ。それでも千代の富士は、「あれ、何回も自分ではずしたりはめたりしているうちに丈夫になるんだろうね。痛くもなんともなくなっちゃうんだろうね」と語るとともに、壮絶な経験を冒頭の言葉のように冗談を交えて話していた。恐るべきハートの強さである。
<名言2>
右の肩をやったときには、ほんとうに相撲人生これで終わりじゃないかと思いました。
(千代の富士貢/Number271号 1991年7月5日発売)
◇解説◇
千代の富士にのしかかった試練は、左肩だけではなかった。