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「認めたくなかった…」“育ての親”が突然の自死、長与千種(59歳)の初告白…故・松永国松さんに告げられた「おまえのような選手には2度と…」
text by
伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph byShiro Miyake
posted2024/09/22 11:04
クラッシュ・ギャルズで一世を風靡した長与千種。インタビューで故・松永国松さんへの思いを語った
――それに対する千種さんの答えは?
長与 NO。今まで闘ってたのにっていうのもあるし、そこに魅力を感じてなかった。全日本女子プロレスのいろんなやり方を、自分はあんまり好んでなかったし。なぜかというと、彼らは好きなように大場所をバンバン入れるけど、それまでのプロセスは自分たちで作りあげていったから、「はたして、このカードに何の意味があんのかな?」って。365日、ほとんど相手を違わずして極悪(同盟)さんと闘って、違ったカードがそんなにない。カードを組むブッカーの役割には、ぜんぜん興味がなかったし、なにより自分をプロデュースすることだけで必死だった。
国松さんが一番、“長与千種の扱い方”を知っていた
――国松さんとの思い出を教えてください。
長与 地方巡業先で、宿泊所に泊まるでしょ。1日の終わりに呼びだされて、和室で、布団がポンって敷いてあるところでタバコを吸いながら、浴衣を着て、あぐらをかいてるおじさんが(笑)、何も言わないでニコニコしてんの。「お疲れさまです」って言ったら、「座れ」って。ニコニコしながらずっと人の顔を見て、財布から5000円出して、「明日、なんかおいしいもんでも食え」って。1万円のときもあって、しょっちゅうしてもらいました。
――言葉は交わさず?
長与 ない。それが何度もあって、「何? どうせなんもないでしょ?」って言うようになっても、またニヤニヤして、「いいから座れ」。座ったら、やっぱり財布からまたお金を出す。「いいよ、お金持ってるから」って言っても、「明日はおいしいものを食べろ」って必ずくれてた。
――そのルーティンには、どんなメッセージが込められていたと思いますか。
長与 もし偉そうに言ってもいいんだったら、最後にいただいた言葉の通り、こういうタイプのレスラーは初めてだったんじゃないかな。いじめられたし、めちゃくちゃきつい試合を組まれていたし、やらされてたし。練習もきつかった。その度に、ニコニコして見てる。彼がいちばん、長与千種はどう扱ったらいいかを知ってた。(新人時代からの)豹変が、楽しかったんじゃないかな。うれしかったんじゃないかな。
「ふざけんな、この野郎!」衝突した理由は…
――衝突しましたか。
長与 毎回毎回メインで60分3本勝負をやらされると、体が持たなくなってくるんで、メインじゃなくて、セミファイナルでもなくって、もうちょっと前のほうでやらせてくれって言ったことがある。そしたら、ニヤニヤしながら目の前でカードを組んで、メインに入れる(笑)。「もう、この親父! 言ってもムダだよね。ムダなのはわかってる。わかってるから、もう言わない。あー、もう2度と言わない!」って言って、上の植田(信治)コミッショナーのところにいく。「もう体が壊れるよ」って。そうするとコミッショナーは、「そっか。大丈夫か、千種。俺が言ってやるからな」って言ってくれるんだけど、それでも(国松さんは)タバコを吸ってニヤニヤしながら、メインかセミファイナルに入れる。「ふざけんな、この野郎!」って。
――その荒い口調で言った?
長与 言う! タバコの灰がね、象さんの鼻みたいに、落ちそうなギリギリの状態のままで(対戦カードを)書くから、それが余計に腹立って(笑)。でもね、自分の大事な試合、タイトルマッチは必ずジミー加山さんがレフェリーをする。一緒に闘いたかったんだな、きっと。