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「認めたくなかった…」“育ての親”が突然の自死、長与千種(59歳)の初告白…故・松永国松さんに告げられた「おまえのような選手には2度と…」

posted2024/09/22 11:04

 
「認めたくなかった…」“育ての親”が突然の自死、長与千種(59歳)の初告白…故・松永国松さんに告げられた「おまえのような選手には2度と…」<Number Web> photograph by Shiro Miyake

クラッシュ・ギャルズで一世を風靡した長与千種。インタビューで故・松永国松さんへの思いを語った

text by

伊藤雅奈子

伊藤雅奈子Kanako Ito

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photograph by

Shiro Miyake

数々の名レスラーを輩出し、一時代を築いた全日本女子プロレス興業。なかでも多くのファンに愛されたのが、1983年に結成されたクラッシュ・ギャルズだ。Netflix『極悪女王』のプロレススーパーバイザーを務め、劇中では唐田えりかが演じたことでも話題を集める、長与千種さんにインタビューを実施。第2回では、創業一族の中でも特に“育ての親”として関係性が深かった故・松永国松さんへの思いを聞いた。《NumberWebインタビュー/全3回の2回目》

 全日本女子プロレス興業(全女)という“最狂”の女子プロレス団体は、1968年に松永家の次男・健司さん、三男・高司さん、四男・国松さん、五男・俊国さんによって設立された。昭和の興業会社にして、鉄壁のファミリー経営。ちゃらんぽらんなのか、企業理念があったのか。05年に解散し、松永4兄弟全員が天国に旅立ったいまとなっては、解せることができない。

 ただひとつ、断言できることがある。

 長与千種という異端児は、ジミー加山としてレフェリーも務めた国松さんが生んだ最高傑作である、ということだ。

◆◆◆

長与 自分たちの試合でお金を賭けてんだから、会社の役員たちが。信じらんないでしょ? (選手は)競走馬じゃないんだよって。厩舎の方たちは賭けないだろうけど、その周りの人たちが賭けてたとしても、簡単に話せることじゃないじゃん。全女は、役員たちが裏でそれをやってたからね。初めて聞いたときは、(この人たちに)育ててもらったんじゃなくて、環境に応じて自分たちで育ったなと、自分たちで変わっていったなと思いました。灯台の役割をしてくださる方がいたのも大きいけど。

――デビル雅美さんのような存在が。

長与 そう。途中からは、相方(ライオネス飛鳥)が常にそばにいてくれたから。好敵手となる相手もちゃんと目の前にいて、ここはブレなかったから、厄介なモンスターにはならなかったと思う。

「俺は2度とおまえのような選手にめぐり合うことはない」

――飛鳥さんとのクラッシュ・ギャルズはモンスタータッグだと思いますが、千種さんソロを振り返るうえで欠かせないのは、国松さんだと思います。入団前、千種さんが長崎県諫早市に来た全女の大会を観に行ったときが、初めての対面だったんですって?

長与 そう、そう。まだ小学生のとき。「まだ子どもだな。ちゃんと中学校卒業してから来い」って言われた。

――その国松さんが、ドン底に落ちているときの千種さんに「おまえ、負け犬になんのか」と言ったことに、運命めいたものを感じます。

長与 そのキーワードもそうだし、その後もいろいろ言われたけど、最後にいただいた言葉は、「俺は2度とおまえのような選手にめぐり合うことはないよ。ずっとそばに置いときたかったけどな」だった。初めて言われた、そんな言葉。横浜アリーナの引退式の日に(89年5月6日)。「ほんとは俺の仕事、ブッカー(選手契約やマッチメイク決議ほか裏方業務)をやってもらいたかったけど」って。

【次ページ】 国松さんが一番、“長与千種の扱い方”を知っていた

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