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「認めたくなかった…」“育ての親”が突然の自死、長与千種(59歳)の初告白…故・松永国松さんに告げられた「おまえのような選手には2度と…」
posted2024/09/22 11:04
text by
伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph by
Shiro Miyake
全日本女子プロレス興業(全女)という“最狂”の女子プロレス団体は、1968年に松永家の次男・健司さん、三男・高司さん、四男・国松さん、五男・俊国さんによって設立された。昭和の興業会社にして、鉄壁のファミリー経営。ちゃらんぽらんなのか、企業理念があったのか。05年に解散し、松永4兄弟全員が天国に旅立ったいまとなっては、解せることができない。
ただひとつ、断言できることがある。
長与千種という異端児は、ジミー加山としてレフェリーも務めた国松さんが生んだ最高傑作である、ということだ。
◆◆◆
長与 自分たちの試合でお金を賭けてんだから、会社の役員たちが。信じらんないでしょ? (選手は)競走馬じゃないんだよって。厩舎の方たちは賭けないだろうけど、その周りの人たちが賭けてたとしても、簡単に話せることじゃないじゃん。全女は、役員たちが裏でそれをやってたからね。初めて聞いたときは、(この人たちに)育ててもらったんじゃなくて、環境に応じて自分たちで育ったなと、自分たちで変わっていったなと思いました。灯台の役割をしてくださる方がいたのも大きいけど。
――デビル雅美さんのような存在が。
長与 そう。途中からは、相方(ライオネス飛鳥)が常にそばにいてくれたから。好敵手となる相手もちゃんと目の前にいて、ここはブレなかったから、厄介なモンスターにはならなかったと思う。
「俺は2度とおまえのような選手にめぐり合うことはない」
――飛鳥さんとのクラッシュ・ギャルズはモンスタータッグだと思いますが、千種さんソロを振り返るうえで欠かせないのは、国松さんだと思います。入団前、千種さんが長崎県諫早市に来た全女の大会を観に行ったときが、初めての対面だったんですって?
長与 そう、そう。まだ小学生のとき。「まだ子どもだな。ちゃんと中学校卒業してから来い」って言われた。
――その国松さんが、ドン底に落ちているときの千種さんに「おまえ、負け犬になんのか」と言ったことに、運命めいたものを感じます。
長与 そのキーワードもそうだし、その後もいろいろ言われたけど、最後にいただいた言葉は、「俺は2度とおまえのような選手にめぐり合うことはないよ。ずっとそばに置いときたかったけどな」だった。初めて言われた、そんな言葉。横浜アリーナの引退式の日に(89年5月6日)。「ほんとは俺の仕事、ブッカー(選手契約やマッチメイク決議ほか裏方業務)をやってもらいたかったけど」って。