格闘技PRESSBACK NUMBER

同期に「観察日記」をつけられ…長与千種が明かした“壮絶なイジメ”の記憶「おまえ、負け犬になんのか」クラッシュ・ギャルズ結成前の知られざる苦悩

posted2024/09/22 11:03

 
同期に「観察日記」をつけられ…長与千種が明かした“壮絶なイジメ”の記憶「おまえ、負け犬になんのか」クラッシュ・ギャルズ結成前の知られざる苦悩<Number Web> photograph by L)AFLO、R)Shiro Miyake

クラッシュ・ギャルズで一世を風靡した長与千種。しかし全女入団当初は、苦悩の連続だったという

text by

伊藤雅奈子

伊藤雅奈子Kanako Ito

PROFILE

photograph by

L)AFLO、R)Shiro Miyake

数々の名レスラーを輩出し、一時代を築いた全日本女子プロレス興業。なかでも多くのファンに愛されたのが、1983年に結成されたクラッシュ・ギャルズだ。Netflix『極悪女王』のプロレススーパーバイザーを務め、劇中で唐田えりかが演じたことでも話題を集める長与千種さんにインタビューを実施。同期からの陰湿ないじめ、創業一族から言われた「おまえ、負け犬になんのか」。長崎出身の少女がスターになるまでの、今明かされる“ノンフィクション”。《NumberWebインタビュー/全3回の初回》

 女子プロレスラー史上、長与千種ほど強烈な光を放つ者はいない。そう断言できるほど、置かれた場所で咲きつづけた。

 80年代には、ライオネス飛鳥とのクラッシュ・ギャルズで大ブームを巻き起こした。90年代初頭には、“鬼才”つかこうへい(享年62)が長与のために書き下ろしたオリジナル作「リング・リング・リング」の舞台と映画で、主役を演じた。選手復帰後の94年に創設したGAEA JAPANは、故郷で老舗の全日本女子プロレス興業(全女)をしのぐNo.1の女子プロ団体になった。2度目の引退後の05年以降は、起業家として多ジャンルのビジネスを手掛けた一方で、16年に代表を務めるMarvelousを旗揚げした。エンターテイナーの世界に身を置いて、来年で45年。セルフプロデューサーとしては、達人の域に達した。

 しかし、光があるところには影がある。

 長与千種の影は、予想以上に“黒い”ものだった。

◆◆◆

長与 15歳で(地元の)長崎から上京して全女に入ったときって、テレビで見てた、雑誌で見てた世界とはまったく違って、ビューティ・ペアさんという大ブームが去ったあとで、お客さまが会場に、ほんとにひどいときなんかは10人とか20人ぐらいしかいない。華やかな世界で歌を歌ってて、キラキラのコスチュームを着てたはずなのに、そういうところではなくって、どす黒い、そんな環境にポンと入って、でもそこで生きていかなきゃいけない。

――千種さんは全女を「モンスターファクトリー」と形容しますよね。そのファクトリーで生き抜いていくためには、15歳の少女もモンスターにならなければいけないわけで。

長与 対応できたわけじゃなくって、せざるを得なかった。うん。プロレスラーになりたかったから、もうそれは仕方ないかなというところでしかなかったから。

――どう対応したんですか。

長与 それぞれの人たちがね、違う主観を持ってると思うんだよね。自分が変わった瞬間、ターニングポイントっていうのは、いくつかあって。んー……、子どもなりのいじめられ方をしてた、っていうのかな。

同期に書かれた「長与千種の観察日記」

――話しても苦しみがフラッシュバックしないのであれば、教えてもらえますか。

長与 いま考えるとくだらないんだけど、“観察日記”みたいなのをつけられててね。あんまり言わないんだよ、こういうこと。いま、初めて言うことだと思う。長与千種の観察日記みたいな感じで、一部の同期が書いてたんだよね。

【次ページ】 同期に書かれた「長与千種の観察日記」

1 2 3 NEXT
長与千種
ライオネス飛鳥
クラッシュ・ギャルズ
ダンプ松本
唐田えりか
剛力彩芽
ゆりやんレトリィバァ
極悪女王
全日本女子プロレス
デビル雅美
マーベラス
ビューティ・ペア
ジャッキー佐藤
マキ上田
GAEA JAPAN

プロレスの前後の記事

ページトップ