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“ヤンチャ坊主”西田有志を育てた肝っ玉母ちゃんとマジメな父「タバコ吸いたいなら吸え」悪さしてもバレーボールだけは一生懸命だった《パリ五輪BEST》

posted2024/08/14 11:00

 
“ヤンチャ坊主”西田有志を育てた肝っ玉母ちゃんとマジメな父「タバコ吸いたいなら吸え」悪さしてもバレーボールだけは一生懸命だった《パリ五輪BEST》<Number Web> photograph by Volleyball World / Nishida family

(右)賞状を手に写真に収まる中学時代の西田有志

text by

田中夕子

田中夕子Yuko Tanaka

PROFILE

photograph by

Volleyball World / Nishida family

日本の金メダル20個、海外大会で過去最多となったパリ五輪。多くの日本人アスリートが強い印象を残しました。これまでNumberWebで公開されたパリ五輪日本チームに関する記事の中で、特に人気の高かった記事を再公開します。今回は、男子バレー西田有志の原点です。《初公開:2024年6月8日/肩書などはすべて当時》

<史上最強との呼び声高い日本チーム。その原動力にもなっているサウスポー西田有志(24歳)の原点を両親に取材した《NumberWebアスリート親子論/全2回の1回目、後編も公開中》>

絵に描いたような“わんぱく坊主”

 西田有志は、泣き虫だった。

 姉は8歳上、兄は6歳上。歳の離れた末っ子を出産したとき、母・美保さんは30歳を過ぎていた。実業団のバスケットボール選手として鍛えた体力もさすがに落ちていたうえに、術後も造血剤を打たなければならないほど出産時は出血した。

「腕っぷしで押さえつけて、厳しく育てた」という上の2人からは「お母さん、有志には甘いんじゃないの」と今でも時折責められるが、あの時は「到底、無理だった」と笑う。

「私もバスケで厳しく育てられてきたので、子どもたちにもビシビシやった。今の時代、殴るなんて言ったら怒られるのかもしれないですけど、3人の育児をするのは戦いですよ。でも(有志の時は)殴る力もないぐらいヘトヘトでした(笑)。だからお姉ちゃんから『何で有志は叩かんのよ』って言われたけど……そもそも有志は叱るとすぐ泣くんですよ」

 母が3人姉弟に共通して叩き込んできたのは、決して特別なことではない。

 挨拶をする。目上の人に対しては敬語で、生意気な口はきかない。脱いだ靴は揃える。

 ごくごく当たり前のことばかりだったが、幼い子どもたちはお構いなし。特に6歳上の兄に対して普段から「圭吾」と呼び捨てにしていた有志は、絵に描いたような“わんぱく坊主”に育った。

「あの子、今でも上の人に平気でため口でしょ? もうね、そういう姿を見るたびに冷や汗が止まらん。呆れますよ(笑)」

愛が溢れた西田家のリビング

 三重県いなべ市の自宅。玄関に隣接したリビングに足を一歩踏み入れれば、これまで有志が獲得してきたメダルやトロフィー、額に入った賞状が飾られている。高校時代の小さな記事から表紙を飾った雑誌や本までズラリと網羅されており、アルバムには幼少期の写真がきれいに整理されていた。

 “呆れる”の言葉とは裏腹に、家中の至るところに息子への愛が溢れていた。

【次ページ】 「有志くんがまた田んぼで勝手に遊んどる」

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