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「涙する姿は痛々しかった…」松山英樹“笑顔の銅メダル”と対照的だった山下美夢有の初五輪…4年後は男女混合団体戦も?「メダルのチャンス増える」
text by
舩越園子Sonoko Funakoshi
photograph byKYODO
posted2024/08/14 06:00
小林浩美会長(右)に労われ、涙を流す山下美夢有(23歳)
山下の中でメダルへの想いが一気に膨らんだことは想像に難くない。そこから先で「怖いものなど何もない」と言わんばかりにクラブを振った彼女のエネルギーと勇気には拍手を送りたくなった。
だが、適格な判断と緻密な計算に基づき、確実にラフやバンカー、池を避けていく丁寧さ、慎重さは見られなくなり、それが6番、7番の連続ボギー、9番のダブルボギーにつながった。
それでもなんとか立ち直った後半の14番、15番で連続バーディーを奪い返した山下のガッツは見上げたものだった。その時点では、銅メダル獲得の可能性は、まだあった。
しかし、上がり3ホールを迎えた16番で池に落としたことは、攻めすぎた末に自ら招いた致命的で痛恨のダブルボギーだった。
「悔しさは最高の糧になる」
山下の悔し涙は、本当に痛々しかったが、考え方次第では、悔しい結果も「良きもの」になる。
松山はリオ五輪そのものを諦め、東京五輪では銅メダルを僅差で逃し、その悔しさがその後の彼の原動力になった。そういうプロセスを経たからこそ、彼はパリ五輪でメダルを獲ることができたのだ。
五輪におけるゴルフの立ち位置は少々複雑で、1900年と1904年にはゴルフ競技が行われたものの、その後、ゴルフと五輪は無縁になった。
2016年リオ五輪でようやく五輪競技に復活したゴルフは、五輪においては「出遅れている」と言わざるを得ない。
そんな中、現代のゴルファーは、五輪と実際に関わりを持たない限り、なかなかメダルの重みを肌で感じることはできないのではないだろうか。
松山はリオ五輪のときから彼自身の五輪挑戦記を綴り始め、あれから8年越しで、ようやく今、メダルに辿り着いた。
山下は今回のパリで初めて五輪挑戦記の1ページ目を開いたばかりだが、かつての松山がそうだったように、次なるページを開き、次こそはメダルを獲ろうと思うための原動力を、すでに得たことになる。
ゴルフ界のレジェンド、アーノルド・パーマーもジャック・ニクラスもタイガー・ウッズも「勝った数より負けた数のほうが何倍も多い」と語り、「悔しさは最高の糧になる」と口を揃えていたが、そうした先人たちは残念ながら五輪を経験することはできなかった。
そう考えたら、すでに五輪に2度出場し、メダルを手に入れた松山はもちろんのこと、初出場の五輪で一度は首位に立ち、メダルを至近距離に感じた上に、悔しさという最高の糧を得た山下は、実は「いいことづくめ」なのではないだろうか。