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「130キロで松井秀喜をどう封じるか」クビ寸前の31歳はなぜ巨人キラーに? 野村再生工場の最高傑作・遠山奬志「最後、松井にウソついた」
posted2025/04/30 17:02

巨人・松井秀喜から三振を奪う阪神・遠山奨志(1999年)
text by

米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph by
Sankei Shimbun
野村克也率いる阪神タイガースで“巨人キラー”として活躍した遠山奬志(57歳)。現在は、この春からコーチに就任した京都廣学館高校で高校生に野球を教えている。崖っぷちから這い上がったサウスポーが、巨人軍との縁を語り始めた。【NumberWeb巨人特集 スペシャルインタビュー全3回の2回目/第1回、第3回も公開中】
「野村再生工場」
野村克也監督が行く先々で、それまで燻っていた選手を戦力として甦らせていく手腕がそう呼ばれた。遠山奬志も、野村によって輝ける場を取り戻した一人だった。
入団テストを受け阪神に再入団した1998年は、まず投手としての体に戻すことに重点を置き、結果が求められる2年目の99年、野村が阪神の監督に就任した。
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サイドスローの左腕を求めていた野村は、遠山にサイド転向を勧めた。遠山がロッテ在籍時に監督を務めた八木沢荘六が、この時阪神の投手コーチになっていたからだと遠山は推察する。
「ロッテの時に、サイドにしたり、いろいろな投げ方を試していて、それを知っていた八木沢さんが野村さんに言ったんじゃないかと思うんです。『遠山はいろいろできますよ』と。
僕はもう必死でしたから、野村さんに言われたら『やります。投げれます』という感じでした。『左バッターのインコース、投げれるか?』と聞かれたから、『投げれます』と。あとはもう結果ですよね。プロの世界は、いくらやれるって言っても、結果を出さなかったら難しいんで」
“ゴジラキラー”の異名
31歳の再入団選手は、常に崖っぷちの心持ちで左サイドから懸命に腕を振った。その遠山の新スタイルが、松井秀喜や高橋由伸といった巨人の強力な左打者に対し機能した。
特に松井に対しては、その年13打数ノーヒットに抑え込み、“ゴジラキラー”と称されるようになる。
だが、松井に対して特別なことをしたわけではないと振り返る。