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プロ野球PRESSBACK NUMBER
バー店主に転身した“大谷翔平のドラ4同期”「彼をウリにしたくない」ワケは…大谷の隣で「ただ精一杯だった」宇佐美塁大の“プロ5年間”
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph byNumberWeb
posted2024/06/28 11:01
現在は広島市内でバーを経営している宇佐美塁大さん(29歳)
勝ち取った甲子園、大谷のことは知らなかった
それでも高校は地元の広島工業高を選んだ。ヤクルト・高津臣吾監督や広島・新井貴浩監督を輩出した古豪。その練習についていけるか不安を覚えていた入学直前の数カ月で“奇跡”が起きた。
「中学3年の冬から高校に入る春までの期間で、身長が急激に伸びたんです。160cm前半だったのが172、3cmまでどんどん伸びて、体も大きくなった。周りからは本当にびっくりされました。自分でも何か今までと違う感覚が出てきて、入学した最初の練習では周りと比べても行けるんじゃないか、という自信が漲ってきたんです」
2学年上に和田凌太(元巨人育成)という憧れの存在がいたこともあり、必死に練習に取り組んだ結果、“守備キャラ”はいつしか“スラッガーキャラ”に変身していた。高校通算45本塁打。3番打者として挑んだ3年夏は県大会で打率.571、3本塁打の大活躍で同校20年ぶりとなる夏の甲子園出場を勝ち取った。
「高校時代はとにかく必死でした。とにかく地元で一番になりたい、という思いでやっていた。甲子園の入場行進の時なんかに藤浪(晋太郎)や田村(龍弘)とか有名な選手がいて、その時初めて同世代ですごい選手がいるんだな、と意識しました。そこまで情報がある時代ではなかったので大谷翔平のことは当時よく知らなかったです」
常に一緒に行動した“3人の高卒同期”
2012年ドラフト4位で日本ハムから指名を受けた宇佐美さんは入団早々、その“怪物”の凄さを知ることになる。ドラフト1位の大谷はメジャー挑戦を表明していたため新入団会見は不在。急転直下で日本ハム入りを決断し、千葉・鎌ケ谷の選手寮に入寮した13年1月に初めて顔を合わせた。高卒入団は宇佐美さんと大谷、そしてドラフト2位指名の森本龍弥内野手。3人は常に一緒に行動していた。
「同学年ということで僕も初対面から気軽に喋りかけていたし、(大谷も)喋りかけてくれていました。一番衝撃を受けたのはバッティングです。飛距離もですけど、逆方向も含めてあんなに広角に打てる選手は初めて見ました。捉え方というか、どんな球に対しても強い打球を打てるのは凄いと思いました」
夕食の後にはよく大谷と誘い合って夜間練習に励んだ。選手寮に隣接する室内練習場でかわるがわるトスを上げながらティーバッティングを繰り返した。
「(大谷は)紐のように打つんですよ。硬いバットではなく、パシンと紐で打っているような柔らかさがある。それでいてネットに当たる打球の音は凄かった。持って生まれたものもあるし、努力してきたこともあるだろうし、それを表現できるセンスもある。僕も打った後に『どう?』って聞いたりするんですけど、『いいんじゃない』とかいつも適当に答えられて(笑)。バッティングは全く教えてくれなかったです」