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<龍角散presents エールの力2024④>母が掛けてくれた「ありがとう」の言葉。村上茉愛は声援の力でメダルを手にした。 

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矢内由美子

矢内由美子Yumiko Yanai

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posted2024/07/08 11:00

<龍角散presents エールの力2024④>母が掛けてくれた「ありがとう」の言葉。村上茉愛は声援の力でメダルを手にした。<Number Web> photograph by AFLO

 東京大会では無観客だったことにより、チーム内のムード作りの面でも普段より多岐にわたって気を遣う必要も生じていた。

「もちろん結果は選手の演技次第というのがあるのですが、前の人が失敗したときに次の人をどう周りが盛り上げていくか。いつもなら応援の力で変わっていったりするものなのですが、東京では観客がいませんでしたから、自分たちで雰囲気をつくっていくしかない。上手くいっているときは応援がなくても波に乗っていけるんですけど、誰かが失敗したときの声の掛け方やタイミング、ポイントとしての応援の仕方も大事にしていました」

 村上さんは団体決勝でメダルに届かなかった悔しさをその後の個人種目にぶつけた。結果は個人総合5位入賞。そして種目別ゆかでは銅メダルを手にして東京大会を終えた。

「声援は安心感になります。声援がないと、この緊張をどこに分散したらいいんだろう、という感じになってしまうのです。声援が聞こえることによって、お客さんが見てくれているのが分かりますし、応援されてるからこそ皆さんのために頑張りたいと思えるもの。東京ではそのことにあらためて気づかされました」

金メダルを獲ることよりも、観客に見てもらいたい一心で

 通常の世界大会とは比べられないほどの気力、体力を費やして戦った東京大会。終わってみると心も体も疲弊がすさまじく、朝起きても練習場へ行く気力すら湧いてこないという日々が続いた。

 しかし、村上さんはここで体操を止めることはなかった。夏の東京から約2カ月半後の10月。村上さんは北九州で開催された世界選手権に出場した。

「やはり東京で観客の応援がなかったことが心残りでした。お客さんに見てもらいたい。母に見てもらいたい。北九州の世界選手権に出られたのはその気持ちだけです。それほど応援の力は大事なんです。あんなに出し切った東京大会の後に、2カ月も3カ月も死に物狂いで練習できた理由は、北九州が有観客だということでした。頑張る源は金メダルを獲りたいということよりもお客さんの目の前で東京大会と同じ演技を見てもらいたいという思いでした」

 大会直前の足の負傷もあって、試合にはギリギリの状態で臨んだ。結果は種目別ゆかで2017年のモントリオール世界選手権以来となる2度目の金メダルを獲得。種目別平均台でも銅メダルに輝いた。大会には連日、スポーツ観戦の場を待ち望んでいた多くの観客が訪れ、会場はほぼ満員だった。

「どんなにきつくてもアップしているうちに筋肉痛がなくなるような感覚になって、『行ける』という気持ちになり、私は皆さんに助けられていたのだとしみじみ思いました。結果として、今まで獲ったことのない平均台のメダルも獲れてビックリしたくらい、応援の力、声援の力は大きいものです。最後のゆかの演技が終わった後は、会場のお客さん全員が応援していてくださったことがすぐに伝わってきて、頑張ってきて本当に良かったと思いました」

 ゆかの金メダルで有終の美を飾った村上さんは、北九州世界選手権を最後に現役を引退し、母校の日体大コーチを経て、後進の指導にあたっている。

「指導者としての自分のスタイルは今もまだ模索中なんですが、やっぱり私自身も選手の演技を見て大事なときには自然と声が出ます。声援を送りたくなるのはスポーツのいいところ。そういう選手を育てていきたいですね」

村上 茉愛Mai Murakami

1996年8月5日生、神奈川県出身。小学校入学前から体操を始め、高2時に世界選手権・種目別ゆかで4位。日体大進学後、2016年リオ五輪で団体総合4位に貢献。翌17年世界選手権で日本女子として63年ぶりとなる金メダル獲得。21年東京五輪では個人種目で日本女子初となる銅メダルに輝く。同年10月、北九州での世界選手権で種目別のゆかで金メダル、平均台で銅メダルを獲得し、現役引退を表明。日体大体操競技部で指導後、拠点を変えてナショナル強化選手やジュニア強化の指導にあたる。

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