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高校サッカーPRESSBACK NUMBER
「有望な中学生に断られ続けた」“時代遅れ”になった名門校…帝京高サッカー部“異色の指導者”が再建に挑んだ話「縁故採用をストップした」
text by
木崎伸也Shinya Kizaki
photograph byKYODO
posted2024/06/03 17:06
1992年の高校選手権決勝。両校優勝後の帝京高、四日市中央工高のイレブン。帝京高キャプテンは日比威だった
「選手の成長には食事が不可欠。学校に学食はあったものの、一般の学生向けでサッカー部の部員には十分ではなかった。近所のお弁当屋さんにお願いして500円くらいでボリュームたっぷりのお弁当を用意してもらったんですが、それでも足りない。
そこで二升炊きの釜を3つ買って、学校がある日はほぼ毎日、おにぎりを300個くらい握りました。1個0.8合くらいの大きさです。おにぎりを握る姿を見せ続けたら、子供たちだけでなく、保護者の視線も変わっていきました」
遠出する際にはマイクロバスのハンドルを握った。
「観光バスを手配してもいいのですが、保護者の負担が大きくなる。理事長がマイクロバスを手配してくれ、監督とコーチが運転する方式に変えました」
「縁故採用」ストップ、「父母会」解散
味方が増えて地盤が固まったら、いよいよ本丸に攻め入る番だ。
日比は選手の「縁故採用」にストップをかけた。
「OBから自分の息子をサッカー部に入れたいという相談が結構あるんですね。でも縁故採用をしたらチーム力が落ちるし、その子のためにもならない。
『申し訳ありませんが純粋に能力で決めます』とOBに言い続けました。非情だったかもしれませんが、基準がブレたら組織は一瞬で崩れます」
日比はアンタッチャブルと思われていた領域にも踏み込んだ。保護者に理解を求めたうえで、父母会を解散したのだ。
「父母会にはいろいろな目的がありますが、その1つが財政支援です。遠征代や合宿など、学校予算や部費でまかなえない出費が生じた際に、父母会の会費から補填するという形です。
ただ、帝京は理事長の理解があり、サッカー部に十分な予算がつけられていた。父母会は年に一家庭あたり4、5万円集めていましたが、応援の旗を置いておく倉庫代や試合当日に旗を設置する担当者の交通費といったことに使われていました。
そこで保護者の方たちに『各家庭の経済的な負担を減らしましょう。時間があるときに応援にきて頂ければ嬉しいです』と伝えて、父母会を解散しました。最大のターニングポイントだったかもしれません」
“有望な中学生”に断られた理由
当然、サッカーのプレースタイルも大きく変革した。