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スポーツ百珍BACK NUMBER
「藤井聡太先生も指した雁木だよ」の一言で子供が笑顔に…“奨励会→元芸人”異色の将棋講師が味わった「永瀬拓矢さん、小学生でこんな強いのか」
posted2023/12/25 17:00
text by
茂野聡士Satoshi Shigeno
photograph by
Shigeki Yamamoto/Takuya Sugiyama
「ねえ戦型、なんか知ってる?」「もしかしたら雁木ならできるかも……」
たしか5年ほど前のこと。ある将棋イベントで棋士と子供たちの「多面指し」で、列に並んでいた少年たちが「雁木」という戦型を挙げていた。当時は藤井聡太四段が中学生にして棋士デビューを飾り、快進撃を続けたことで多くの少年少女たちが将棋に興味を持ったと聞いた。それを肌で実感する機会だったが……2023年の暮れに、ある将棋教室でこんな会話を耳にした。
「お、雁木が組めるようになったんだね。この形は藤井聡太先生も指したことがあるんだよ」
「え! そうなの!」
講師の栗尾軍馬先生に声をかけられた子供は、はにかみつつも笑顔を浮かべていた。
最初は将棋、次はお笑い、と好きなことを
都内各地で開催されている『KAI将棋教室』。かつて棋士を目指す養成機関である奨励会に所属し、プロも参加する公式戦で通算20勝を挙げた甲斐日向さんが経営している。その講師の1人として奮闘しているのが、同じく奨励会に所属した栗尾である。
青春時代を将棋に懸ける若者が集まる奨励会において、栗尾が“異色”なのは、奨励会退会後に吉本興業の「NSC」に入り、芸人の道を志した期間があること。
「ずっと、自分の好きなことをやりたいと進んできた人生だったんです。だから最初は将棋、そのあとにお笑いもやってみたいな、となったんです。だから〈また養成機関に入るのか〉という気分にならず、自発的にやっていましたね」
多感な10~20代で追い掛けた夢と転身については後に聞くことにして——栗尾さんと将棋の出会いは、今教えている子供たちと同じ、ひょんなきっかけだった。
「小2頃、近所にいた1つ上のお兄さんと仲が良くて『将棋をやろうよ』と言われたんです。もちろん最初は全くルールが分からなかったのですが(笑)、第一印象で〈なんとなく面白そうだな〉と感じたんです」
奨励会入会当初、家に帰ったら毎回熱が出ていた
栗尾さんにとって幸運だったのは、母親が将棋のルールを知っていたこと。そこからのめり込むと、2つ目の将棋道場(兄弟子に当たる中村亮介六段も通っていたそうだ)でメキメキと棋力をつけて、2年ほどでアマ7級から二段へと昇段する。そして……。