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オグリキャップはいかにして“国民的アイドル”となったのか?「耳に赤ペンを挟む女性も…」バブル絶頂期の毎日王冠で見せた“伝説の名勝負”
posted2023/10/08 11:00
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph by
東京スポーツ新聞社
今週から秋の東京開催が始まり、日曜日のメインレースとして第74回毎日王冠(10月8日、東京芝1800m、3歳以上GII)が行われる。安田記念連覇を含むマイルGI3勝を挙げているソングラインの秋初戦として、注目されている。
バブル全盛の1989年、“伝説の毎日王冠”の背景
毎日王冠といえば、「稀代の快足馬」サイレンススズカが、エルコンドルパサー、グラスワンダーといった強豪を封じて逃げ切った1998年のレースこそナンバーワンだ、と思っている人は多いだろう。サイレンスは、無敗だったエルコンドルとグラスに影すら踏ませずゴールを駆け抜け、スタートから先頭に立ち、自分にしか維持できないスピードで走り切れば勝っている――という、「絶対の形」を見せつけた。
確かに、あの一戦は競馬史に残る名レースである。が、その9年前にも、とてつもない毎日王冠があった。
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「芦毛の怪物」オグリキャップと、「平成三強」の一角イナリワンがゴール前で激しく叩き合った、1989年の第40回毎日王冠である。最後の10秒ほどは、声を出すのも、息をするのも忘れて動けなくなるほど、凄まじいデッドヒートが繰り広げられた。
1989年はどんな年だったか。バブル景気がピークを迎えつつあり、誰もが日本の国力と経済力が右肩上がりで伸びていくことを疑っていなかった。その2年前の1987年、日本中央競馬会はCI(コーポレート・アイデンティティ)戦略で「JRA」の略称を用いるようになった。さらに、武豊がデビューしたり、場外馬券場が「WINS(ウインズ)」という洒落た呼称になったりして、競馬のイメージが変わっていく。ちょうど「オヤジギャル」と呼ばれる、最先端の服装に身を包みながら耳に赤ペンを挟むようなミスマッチなお洒落をする女性たちが幅を利かせるような風潮にも乗り、競馬は爆発的な人気を獲得していく。キャパの大きな東京競馬場などは、GIIでも10万人を超える観客が集まるのが当たり前だった。
そんな時代に登場し、国民的アイドルとなったのが、芦毛のオグリキャップである。父ダンシングキャップ、母ホワイトナルビー(母の父シルバーシャーク)というお世辞にも一流とは言えない血統で、デビューは地方の笠松と、地味なキャリアのスタートを切った。